この記事では「犬に論語」というについて解説しています。「犬に論語」のをご存じなくても、「猫に小判」と同じ意味だろうと類推できれば、ほぼ正解といえるでしょう。ただし厳密には「猫に小判」と「犬に論語」とは微妙に意味が違います。

そこでこの記事では「犬に論語」の正しい意味とをはじめ、由来と類義語、表現などを中心にくわしく解説していきます。

犬に論語の意味とは


「犬に論語」とは、分からず屋に道理を説こうと骨を折っても時間と労力の無駄にしかならないことを比喩的に表現したことわざです。「(あの人には)何を言っても理解してもらえない」。あるいは「(あいつには)何を言っても無駄だ」という意味になります。

犬に論語の使い方

「犬に論語」は「話が通じない相手には何を言っても無駄」という意味ですが、使い方としては「言語が通じない」のではなく「相手の考え方や性格が違いすぎて意思疎通が全くできない」という意味で用いるのがポイントです。

たとえば日本語を知らない外国人と話が通じない、という意味で「犬に論語」と表現するのは本来の意味とは外れる使い方になります。「犬に論語」は言語ではなく道理や気持ちが通じないので意思疎通も説得も無駄だ、というニュアンスで使われます。

犬に論語には悪い意味がある

「犬に論語」を使用する上で注意すべきポイントは、単に「道理が通じない」というだけでなく「相手が分からず屋だから」という悪いニュアンスが含まれること。犬は古くから人との関わりが深く、犬にまつわることわざや慣用句は古今東西を問わず数多くあります。

その一方で、「犬畜生」「社長の犬」「負け犬の遠吠え」など、卑屈で従属的な人を意味することが多い言葉でもあります。「犬に論語」の「犬」も「考え方が違う人」というだけでなく「諭す価値もない頑固な相手」というニュアンスがあることに注意しましょう。

犬に論語の由来

「犬に論語」ということわざの由来は定かではありません。古い使用例では江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎の作者として人気を博した近松門左衛門の浄瑠璃・本領曾我に「犬に論語といふたとへ」という台詞があります。したがって遅くとも元禄時代には人口に膾炙していたものと考えられます。

元禄時代といえば江戸幕府の5代将軍、徳川綱吉の治世。幕藩体制の安定とともに敵を武力で圧伏する武断政治から儒学による文治政治が推し進められた時代です。論語は戦のない時代の処世準則として武士から庶民にいたるまで必読の修養書となりました。

また「犬」は前述のように比喩としていやしい生き物をあらわしますが、元禄時代には生類憐れみの令によって優遇されました。「犬に論語」が元禄時代に流行したのは、生類憐れみの令と儒教を推進した将軍綱吉に対する批判の意味もあったと考えられます。

犬に論語の例文

放送作家
「犬に論語」は「相手が分からず屋である」「意思疎通ができない相手に何を言っても無駄である」などの意味をあらわすことわざです。ここではその使用例としてふたつの例文を紹介します。

PCもスマホも使わない社長に、オウンドメディア戦略なんか提案しても「犬に論語」だよ。
会長は剣道の達人ですので、日常会話でも「心気力を一体にして有効打突を打つ」などと剣道用語を使うんですが、門外漢の我々にとっては「犬に論語」です。

犬に論語の類義語


ここでは「犬に論語」と似た意味の類義語を、ことわざと四字熟語に分けて紹介します。

犬に論語に似たことわざ

犬に論語の類義語になることわざとしては「牛に経文」「馬の耳に念仏」「猫に小判」「豚に真珠」などをあげることができます。いずれも話が通じない者を動物に例えた風刺的な警句ですが、厳密に言えば、それぞれのニュアンスには微妙な違いがあります。

まず「牛に経文」と「馬の耳に念仏」は「どれほど尊いお経でもを牛や馬に説き聞かせたところで意味はない」ことをあらわし、「犬と論語」同様に「意思疎通のできない相手を説得するのは無駄なことだ」という意味のことわざです。

一方、「猫に小判」と「豚に真珠」は「価値を理解できない者に高価な物を与えるのは無駄だ」という意味です。つまり「牛に経文」と「馬の耳に念仏」は「時間と労力の無駄」を、「猫に小判」と「豚に真珠」は「経済的な無駄」を意味します。

ほかにも「二階から目薬」「糠に釘」「暖簾に腕押し」なども「犬に論語」に近い意味のことわざです。「糠に釘」と「暖簾に腕押し」は「効果や手応えがないこと」「行う意味がないこと」のたとえとして「するだけ無駄」という意味をあらわします。

また「二階から目薬」は「やることが遠回りすぎて、うまくいかないこと」をあらわし、「隔靴掻痒」と同じく「思うようにいかず、もどかしい状況」をあらわすことわざです。

犬に論語に似た四字熟語

「犬に論語」と似た意味の四字熟語には「馬耳東風(ばじとうふう)」と「対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)」があります。「馬耳東風」の「東風」とは春に吹く心地よい風のこと。馬は春風が吹いても意に介さないことから、「人の話を聞かないこと」を意味する言葉です。

「馬耳東風」と同じく馬に関することわざに「馬の耳に念仏」があります。意味はほぼ同じですが、「馬の耳に念仏」の「馬」は「念仏のありがたさがわからない愚か者」のこと。馬耳東風の「馬」は「人の意見を聞かない愚か者のこと」という違いがあります。

「対牛弾琴」は現代ではほとんど使われません。意味は「牛を相手に琴を弾いて聞かせても何の意味も効果もないこと」のたとえで「やるだけ無駄なこと」を意味します。

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犬に論語の英語表現


「犬に論語」は比喩的なことわざですので、そのまま英訳して「Teaching the Analects of Confucius to dogs.」「Analects for dogs」などと表現しても意味は通じません。それこそ「犬に論語」です。

「犬に論語」をあらわすには、「It is useless to teach the Analects of Confucius to dogs.(犬に論語を教えようとしても無駄だ)」と比喩としての意味も含めて表現するか、意味が同じ慣用表現に置き換えるのが良いでしょう。

たとえば「犬に論語」と同じ意味で「pray to deaf ears」「preach to deaf ears」という慣用句があります。「deaf ears」は「耳が不自由」という意味ですが、比喩的に「他人の意見や忠告に耳を貸さない人」をあらわします。

「pray to deaf ears」を直訳すると「耳が不自由な人に祈る」。「preach to deaf ears」は「耳が不自由な人に説教する」となりますが、比喩的にはどちらも「~しても無駄」という意味をあらわす言葉です。

ほかには「wasting one’s breath」という表現を使って「Don’t try to reason with him. You’re wasting your breath.(彼を説得しようとするのはやめろ。呼吸の無駄になるだけだ)」という表現もあります。

まとめ

  • 「犬に論語」とは「道理を説こうとしても無駄だ」という意味のことわざです。
  • 「犬に論語」には「相手が分からず屋だ」という悪いニュアンスが含まれます。
  • 「犬に論語」の類義語には「馬の耳に念仏」「猫に小判」「馬耳東風」などがあります。
  • 「犬に論語」の英語表現には「pray to deaf ears」「wasting one’s breath」などがあります。