鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれとは

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鶏口となるも牛後となるなかれとは

「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、巨大で強い存在、集団の一員となってついていくよりも、鶏のように弱小な存在でもトップでいた方がいいという意味のことわざです。

古代中国に原典のある言葉です。

鶏口となるも牛後となるなかれのビジネスシーンでの意味

当時、秦という大国が中国全体を圧倒し始めていた中で、蘇秦という賢者が、この言葉を使いました。
「巨大国秦の一部となるより、各国力を合わせて現代の小国的立場を維持した方がいい」と説いたのです。

当時の中国王朝は完全な血族主義で、外様の人間が冷遇されることが多かった故の選択ともいうことができます。しかし、合併などの話もあるだけに現代ビジネスシーンでも活用のしどころは多いでしょう。

例えば、合併話が盛ち上がった際に、自前での意思決定権をまっとうするという意味でもこのことわざを使うことができます。

また、出世競争に敗れてマイナーな部署に回されたという同僚相手にも、激励の意味で用いることもできるでしょう。

しかしながら、「鶏口」というといかにも小さな感じでマイナスな雰囲気もありますので、過剰反応されないように使ってはいくべきでしょう。

鶏口となるも牛後となるなかれの例文

あの会社は巨大ですが、だからこそ我々の意向を完全に無視することも可能だといえます。鶏口となるも牛後となるなかれ、ではありませんが、規模を大きくするにも合併以外の方法はあるはずです。
あの課に回されちまったか。ま、そんなに落ち込むことはない。閑職だから課長にもすぐなれるだろうし、鶏口となるも牛後となるなかれっていうしな