慚愧とは|読み方・意味・使い方・類語・英語表現を解説

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ここでは「慚愧」という言葉について解説いたします。

「慚愧」は日常生活ではほとんど使う機会のない言葉です。一方で、著名人が悔悟の念を表明するようなシーンでは決まり文句といえるほどよく使われる言葉です。意味的に良い言葉とは言えませんが、ときには一般の方も使う機会があるかもしれません。

そこで、ここでは「慚愧」の意味や読み方、使い方などを多角的に解説していきます。是非最後までお読みください。

「慚愧」の読み方・意味・使い方

天台宗
「慚愧」は「ざんき」と読みます。意味としては「自分の愚かな言動や、犯した罪を恥じること」をあらわします。

「慚愧」は名詞です。語尾に動詞の「する」をつけて「慚愧する」という使い方もできますが、現代では「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」「慚愧の至り」という堅い表現で用いるのが一般的です。

「慚愧」の語源

「慚愧」はもともと仏教用語で、「慚」と「愧」とも1文字で「自分の愚かな行いや罪を恥じること」をあらわします。ただし厳密には「慚」と「愧」それぞれに微妙な意味の違いがあります。

まず「慚」は御仏の教えと自分自身の良心に照らして自分の罪や過ちを恥じると同時に、賢者の善行を崇敬することをあらわします。それに対して「愧」は世間一般の法律や慣習 に照らして自分の罪や過ちを恥じると同時に悪行を断ち切る、という意味があります。

このほかにも「慚」と「愧」にはいくつかの解釈があります。たとえば「慚」は自分の罪を自らに恥じること。「愧」は他人に対して恥じること。というふうにも伝えられます。

仏教の教えでは、「慚」と「愧」は感情としては別ですが、心の中では表裏一体となって生じるものとされています。言葉としても別々ではなく、二字熟語として「慚愧」と表記します。

「慚愧懺悔」とは

「懺悔(さんげ)」も「慚愧」と同様に仏教用語が語源です。「慚愧懺悔(ざんきさんげ)」とは、これまでの自分の行いを深く反省し、その罪を神仏に告白して悔い改めることを意味します。

現代では、「懺悔」のみで悔い改める意味になるため、「慚愧懺悔」という四字熟語を用いることはありません。ただし真言宗などの修験者は現在でも山伏として険しい山を登る際には、「慚愧懺悔(ざんきさんげ)六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と叫び唱えます。

ちなみに「六根清浄」は人間にそなわる眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)の五感に意根(意識)を加えた六根を清らかにすること。また「慚愧懺悔」と同じ意味で「懺悔懺悔(さんげさんげ)」と唱えることもあります。

「慚愧」のビジネス上での使い方

副業
「慚愧」という言葉をビジネスで使う場合は、「自分が犯したミスを深く恥じて悔い改めること」をあらわします。

近年では慚愧を「残念」の意味で誤用するケースが増加しており、たとえば部下を病で亡くした上司が「優秀な部下を失い、慚愧の念に堪えません」と弔辞を述べるような誤用も少なくありません。

「慚愧」の正しい意味は前述のように「自分の罪を恥じること」。弔事で「慚愧の念に堪えません」というと、「誤って部下を殺した上司が悔いている」という意味に受け取られかねません。このような誤用を絶対しないように注意してください。

ビジネスシーンに限らず、「慚愧」を会話や文中で使う場合は、「慚愧に堪えない」「慚愧の念」「慚愧の至り」という表現にするのが一般的です。以下にそれぞれの意味と例文を示します。

「慚愧に堪えない」の意味と例文

「慚愧に堪えない」とは、「自分の愚かな言動が恥ずかしくて仕方がない」「自分が犯してしまった罪を悔やむ気持ちを抑えられない」という意味をあらわします。単に「残念だ」という意味ではありませんので、使用する際は注意が必要です。

慚愧に堪えないの例文

私の判断ミスで会社に大きな損失を与えてしまったことは慚愧に堪えません。

「慚愧の念」の意味と例文

「慙愧の念」は「自分の愚かな言動や犯した罪を恥ずかしく思う気持ち」をあらわします。一般的には「慚愧の念に堪えない」という表現で用いられますが、「慚愧の念にかられる」「慚愧の念に襲われる」などの使い方もあります。

「慚愧の念」の例文

私の浮気が原因で別れてしまった妻を思い出すと、今でも慚愧の念にかられてしまいます。

「慚愧の至り」の意味と例文

「慚愧の至り」は「自分のミスや罪を恥じる気持ちが最高潮に達していること」をあらわす用法です。

「慚愧の至り」の例文

泥酔して駅のベンチに寝ている姿を妻の父親に目撃されたのは慚愧の至りです。

「慚愧」の類義語と例文

件
「慚愧」と似た意味の類義語としては、「悔悟」「悔恨」「改心」「改悛」「後悔」「懴悔」「忸怩(じくじ)」「自責」「反省」「猛省」 などをあげることができます。

「改心」と「改悛」はともに「犯した過ちや悪事を悔い改めて心を入れかえること」を表す言葉です。「忸怩」は「深く恥じること」。「悔悟」「悔恨」「後悔」は「自分の行いが誤っていたことを認めて悔やむこと」をあらわします。

「自責」は「自分の過ちを自ら認めて悔いること。責任は自分にあると考えること」を意味します。「反省」は「自分の悪かった部分を認めて改めようと思うこと」。「猛省」は「激しく反省すること」をあらわします。

「悔悟」や「忸怩」「自責」などはいずれも自分自身に抱く感情として表現されますが、「反省」と「猛省」は自分以外を対象にうながす用法もあります。

「忸怩」の例文

あのとき取引先の経営状態を事前に確認しておけば貸倒損失は防げたと思うと、内心忸怩たるものがある。

「猛省」の例文

忘年会で女性社員にセクハラまがいの言動を行った男性社員に対し、後日コンプライアンス委員会がヒアリングを行った上で猛省を促した。

「慚愧」の英語表現

センテンス
「慚愧」の英語表現としては、「深く恥じ入る」という意味の「feel deeply ashamed」や「恥ずかしさに耐えられない」という意味の「unbearable to feel shame」「overwhelmed with shame」などが考えられます。

ただし、これらは単に「恥」の度合いをあらわす言葉であり、「慚愧」の持つ罪の意識や後悔のニュアンスまでは伝わりません。

「慚愧」が持つ複雑なニュアンスを英語であらわすとすれば、以下の例文のように補足説明をすることになります。

I feel deeply ashamed, regret, and most of all, guilty at myself for letting it happen.

私はそれを引き起こした自分自身を深く恥じ入り、後悔し、罪の意識にさいなまれる。

His regretment consists of feeling unbearable shame and guilt.

彼の後悔は恥辱と罪の意識によってもたらされている。

He overwhelmed with feelings of guilt and shame.

彼は恥辱と罪の意識に押しつぶされそうになっている。

まとめ

・「慚愧」は「自分の愚かな言動や、犯した罪を恥じること」を意味する言葉です。
・「慚愧」は「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」「慚愧の至り」などの表現で用いられます。
・「慚愧懺悔」は、これまでの自分の行いを深く反省し、その罪を神仏に告白して悔い改めることを意味します。
・「慚愧」の英語表現には「feel deeply ashamed」「unbearable to feel shame」「overwhelmed with shame」などがあります。
・「慚愧」の類義語には、「悔悟」「改心」「後悔」「懴悔」「忸怩」「自責」「反省」「猛省」 などがあります。