【間違いやすい】「忸怩たる思い」とは?語源からビジネスでの使用例まで解説

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この記事では「忸怩たる思い」について解説いたします。日常会話やビジネスシーンなど幅広い場面で登場するため見聞きしたことがあるという人も多いことでしょう。

しかしその意味や使い方については曖昧だという人もいるかもしれません。

文化庁による令和4年国語に関する世論調査でもこの言葉について言及しています。

そこで今回は「忸怩たる思い」の意味や語源、日常会話での使用例や類語表現なども含めてピックアップしました。

この記事を最後まで読めば「忸怩たる思い」についてよく理解できるようになることでしょう。

忸怩たる思いの意味と語源

言葉を理解する上では、その意味や語源を確認することが非常に有効です。そこでまずは「忸怩たる思い」という言葉の意味と語源をこの項目ではまとめています。

それでは早速それぞれ確認していきましょう。

「忸怩たる思い」とはどういう意味?

「忸怩たる思い」は「じくじたるおもい」と読み、「自分の失敗や至らなさについて深く恥いる気持ち」という意味です。

日常会話でも用いること自体はできますが、その意味からどちらかというとビジネスシーンやニュース番組などの反省する場面で使われます。

「忸怩たる思い」は自分がしてしまったことに対する不甲斐なさなどについて反省や謝罪の気持ちを表現する際に使う言葉です。

その言葉を使うことにより、自分が深く反省し謝罪する気持ちがあるということを表します。

「忸怩」はどういう意味を表すのか

「忸怩」という字を分解すると「忸」と「怩」とに分けられます。「忸」も「怩」も恥じて顔が赤くなるという意味です。そのため同じ意味を持つ字が合わさった「忸怩」はその意味が強調され、「深く恥いる」という意味になりました。

「忸怩」に限ったことではありませんが、同じ意味を持つ漢字を2つ使うことによってその意味がより強調されるということが少なからずあるのです。例えば恐怖や延伸、移動や温暖など、非常に多くの二字熟語が存在します。

かつては森鴎外が自身の小説にて「忸怩たる思いであった」という表現を使用しているようにかなり古くから使われている言葉です。そのため現代の日常会話で用いるには少し古めかしく感じられ、相手が「忸怩」の意味を分からず齟齬が生じるという可能性があります。

逆にビジネスシーンやニュース番組などあらたまった場面においては「忸怩」の持つニュアンスが合っているのでよく使われているのでしょう。

間違いやすい忸怩たる思いの例文

「忸怩たる思い」の意味を誤解していたり、間違って使っているケースが散見されます。そこでこの項目では「忸怩たる思い」の日常会話での使用例とビジネスでの使い方、なぜ意味の間違いが起きやすいのかについてまとめました。

間違いやすいからこそ、どういう点がポイントになるのかをしっかりと確認しておくことが重要です。それでは順に確認していきましょう。

日常会話での使用例

「忸怩たる思い」は先述のようにビジネスシーンやニュース番組などかしこまった場面で使われることが多い言葉ですが、日常会話でも使用できないわけではありません。日常会話であってもかしこまったシーンであれば違和感なく使うことができます。

その点を踏まえた上で、「忸怩たる思い」の日常会話での使用例をまとめました。それぞれ一つずつ確認していきましょう。

例文
  • 先生から高い期待をかけられたが結果を残せず、「忸怩たる思いです」と謝罪した。
  • 居眠り運転で事故をしてしまい、被害者に対して「忸怩たる思いです」と謝罪した。
  • 論文発表会ではせっかくの研究成果をうまく話すことができず、「忸怩たる思いです」とつい口から出た。

ビジネスでの「忸怩たる思い」

これまで度々解説したように、ビジネスにおいて「忸怩たる思い」という表現はよく登場します。社会人として、どのような使い方をするのか知っておいた方が良いでしょう。

そこで以下にビジネスでの「忸怩たる思い」を使った具体例を列挙しました。例文のシーンを想像しながら確認していきましょう。

例文
  • プロジェクトリーダーを任されたが思った成果が出せず、「忸怩たる思いです」と声を絞り出した。
  • 取引先からの要望に応えることができなかったことに対し、「忸怩たる思いです」と謝罪した。
  • 商談を任されたが成約に到ることができず、「忸怩たる思いです」と率直な気持ちを口にした。

なぜ意味の間違いが起きやすい?

「忸怩たる思い」は日常会話ではほとんど使われなかったり漢字を見ても連想できなかったりするため、意味の間違いが起こりやすい言葉です。したがって実際に使用されている場面から意味を推測し、間違った意味で覚えてしまっている人が散見されます。

よくある意味の間違いは「悔しい」や「うじうじする」、「ぐずぐずする」といったものでしょう。「悔しい」については、例えばニュース番組で政治家が悔しそうな顔をしながら「忸怩たる思いです」と発したりするのでそう誤解していたという人もいるかもしれません。

「うじうじする」や「ぐずぐずする」については音の響きが「忸怩」と少し似ているので意味を誤解したと推測できます。なお令和4年に文化庁が実施した調査によると、「忸怩たる思い」を「残念で、もどかしい思い」と回答した人が52.6%もいたそうです。

このことから「忸怩たる思い」の意味を誤解している人は非常に多いといえます。もしもこの言葉を使う際は、相手が意味を正しく理解しているか確認した方が良いといえるかもしれません。

忸怩たる思いの類語表現 | 悔しい、恥ずかしいとは違う?

この項目では「忸怩たる思い」の類語表現について取り上げています。具体的には「悔しい」や「恥ずかしい」と同じなのかどうか、「慚愧に堪えない」との違いについての2点をピックアップしました。

類語表現とはどのような共通点や違いがあるのか、一つずつ確認していきましょう。そうすることで、「忸怩たる思い」についてより理解できるようになります。

悔しい、恥ずかしいは「忸怩たる思い」と同じ?

まず上記のように、「忸怩たる思い」には「悔しい」という意味はありません。これは単に「忸怩たる思い」を「悔しい」という意味だと誤解しているだけだといえます。

また「忸怩たる思い」には「恥いる」というニュアンスがあるため、その点は「恥ずかしい」と共通しています。しかし「恥ずかしい」と「忸怩たる思い」には明確な違いがあるのです。

「恥ずかしい」は少しだけ恥いる場合にも使うことができるのに対し、「忸怩たる思い」は深く恥いる場合にのみ使用します。例えば会社の皆の前で余興を披露するのに「恥ずかしい」とは使いますが、「忸怩たる思い」は少し大袈裟です。

些細なことに対しも「忸怩たる思い」を使用すると非常に大袈裟な人だと思われてしまう恐れがあるので、適宜「恥ずかしい」と使い分けていくと良いでしょう。

慚愧に堪えないとの違い

「忸怩たる思い」に似た言葉として「慚愧に堪えない」が挙げられます。「慚愧に堪えない」は「ざんきにたえない」と読み、「自分の行いを深く反省し、心から恥いる」という意味です。

そのため「忸怩たる思い」と「慚愧に堪えない」はほとんど同じ意味で使用することができます。強いて違いを挙げるなら、「慚愧に堪えない」は自分の犯した罪を恥じるという意味もあるという点です。

それ以外は特に違いを意識せずに使うことができるといっても良いでしょう。なお「慚」は心に切り込みを入れられたほどの恥ずかしさを、「愧」は他者に対して恥いるという意味です。

また「堪えない」は我慢することができないという意味があるため、それらが合わさって上述のような意味になりました。せっかくなのでこの際に合わせて覚えておくと良いでしょう。