韓非子とは|韓非子の内容・思想と韓非の人物像、名言を紹介

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「韓非子」は戦国時代の中国の思想家「韓非」によって書かれたもので、法治主義に基づく思想が展開されています。

この記事では、「韓非子」の内容や著者である「韓非」の思想、韓非子が出典の成語などを解説します。韓非子には現代のビジネスにも応用できる成語や名言も記されています。今まで韓非子のことを知らなかった人にもぜひ読んでいただきたい内容になっています。

韓非子とは|読み方と内容について

「韓非子」は「かんぴし」と読みます。中国戦国時代の思想書で、20巻55編から成っています。中国戦国時代の法家の思想の大成者である「韓非」およびその学派の著書とされています。

秦の始皇帝が感銘を受けたと伝えられ、峻厳な法治主義を特色としています。君主は法と賞罰によって支配することを政治の根本であるとし、秦に始まる官僚国家創建の理論的支柱となったものです。

韓非の人物像

韓非の生涯

韓非は韓非子の主著者であるとされ、中国戦国時代の法家の思想の大成者です。紀元前233年頃に没したとされ、出生は定かではありません。古代中国では、老子・孔子のように「子」が男性への敬称として使われており、韓非は韓非子とも呼ばれていました。

少しややこしいですが、「韓非子」と言った場合に、韓非自身を指すことと、著書である韓非子を指すことがあるということになります。

韓非は韓に生まれ、儒学者である荀子(じゅんし)の元で儒教を学びました。同門に、秦の宰相となった李斯(りし)がいます。そして秦の商鞅(しょうおう)らに影響され、法治主義に基づいて富国強兵をはかる道を説いています。

韓非は、のちに秦の始皇帝となる秦王に会う機会を得ましたが、才能を妬んだ李斯に讒言されて投獄され、最後は自殺で生涯を終えました。

韓非の思想

韓非は法家の大成者で、人間の本性は利益を求め害を避けるものと考え、法律を国家の基準として定め、賞罰を与えるとことで厳しく守らせる、法治主義を説きました。

法家は、春秋末期から戦国時代の中国で、時代に対処するさまざまな方策を説いた思想家や学派、諸子百家の一つです。「諸子」先生、「百科」は多くの学派を表わしています。
主な学派には、儒家(じゅか)・道家(どうか)・陰陽家(いんようか)・法家(ほうか)・名家(めいか)・墨家(ぼっか)・縦横家(じゅうおうか)・雑家(ざっか)・農家(のうか)があります。

儒教の思想家である孟子(もうし)は、人間の生まれつきの本性は善であるとする「性善説」を唱え、仁・義・礼・智の四つを徳とすると説きました。

韓非の師である荀子は、孟子の性善説に対して「性悪説」を説きました。人間の生まれついた本性は利己的欲望を持った悪であり、善の行為は後天的な習得によってのみ可能となるという考えが性悪説です。

この性悪説から、天下を治める要は仁・義・礼などでなく法律であるという法家の思想である法治主義が説かれました。

性悪説とは|正しい意味・読み方・使い方、性善説の違いについても解説

秦の始皇帝への影響

韓非の法治主義は、自国である韓では認められることがありませんでしたが、秦の始皇帝は韓非子に大きな影響を受けたといわれます。

韓非は、韓の使者として秦におもむいたときに、のちに秦の始皇帝となる秦王と会っています。始皇帝は韓非子に影響を受け、法治主義を採用し中国全土を統一することとなります。始皇帝は法治制度を採用し、郡県制度をしいて中央から官吏を派遣し、強力な中央集権政治を行いました。

韓非子が出典の成語・韓非子の名言

韓非子には成語の基となる故事や名言が数多く記されています。いくつかの成語と名言を紹介していきます。

非子が出典の成語

「矛盾(むじゅん)」
事の前後のととのわないこと、つじつまの合わないことの意です。
楚の国に矛と盾とを売る者がいて、自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛をも防ぐことができると誇っていたが、人に「お前の矛でお前の盾を突いたらどうか」といわれ、答えられなかった。という故事にもとづいています。

「逆鱗(げきりん)に触れる」
よく「琴線に触れる」と混同されがちですが、目上の人を激しく怒らせることをいいます。竜のあごの下のさかさのうろこに触れると怒ってその人を殺すという故事がもとになっています。

「守株(しゅしゅ)」
いつまでも古い習慣にこだわることの意味です。
宋の農夫が、兎がたまたま切株にぶつかって死んだのを見て、その後耕作をしないでその株を見張って再び兎を得ようと願ったという故事がもとになっています。

韓非子が出典の四字熟語

「郢書燕説(えいしょえんせつ)」
こじつけてもっともらしく説明することをいいます。
郢の人が、燕の大臣へあてた手紙の誤った部分を、燕の大臣がいいように解釈し実行したところ、かえって国が良く治まったという故事からきています。

「唯唯諾諾(いいだくだく)」
何ごとにもはいはいと従うさま、人のいいなりになるさまのことです。
韓非子に「此れ人主、未だ命ぜずして唯唯、未だ使わずして諾諾」のくだりがあります。

「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」
功績があれば必ず賞を与え、罪があれば必ず罰すること。情実にとらわれず賞罰を厳正に行うことの意です。
韓非子に君主が群臣を統御するには幾つかの心得が必要であって、それには七つの方法があると説いている中に、信賞と必罰が出てきます。

信賞必罰とは

「一顰一笑(いっぴんいっしょう)」
顔をしかめたり、笑ったりすること。ちょっとした表情の変化。また、人の顔色。機嫌のことを表わす言葉です。
韓非子の内儲説に記述があります。

韓非子の名言

「巧詐(こうさ)は、拙誠(せっせい)に如かず」
たくみにいつわるのは、つたなくとも誠実であるのに及ばない。

「事の理によるときは、労せずして成る」
道理にかなったこと努力をすれば、案外容易に目標は達成できる。しかし、道理に反する事をやっていれば、どれだけ苦労しても無駄骨に終わるだろう。

「小利を顧みるは、則ち大利の残なり」
目先の利益につられると大きな利益を失ってしまう。

「法は貴におもねらず、縄は曲にたわまず」
法律の条文は、相手の地位が高いからといって曲げることはない。大工は木が曲がっていても墨縄を曲げたりはしない。

韓非子についてのまとめ

  • 韓非子は20巻55編から成る中国戦国時代の思想書で、「韓非」およびその学派の著書とされています。
  • 韓非は法治主義を唱えた法家の思想の大成者です。敬称である「子」をつけて韓非子とも呼ばれます。
  • 韓非は秦の始皇帝に影響を与え秦王時代には面会もしていますが、同門の李斯に讒言されて自殺で生涯を終えました。
  • 韓非は、法律を国家の基準として定め、賞罰を与えるとことで厳しく守らせる「法治主義」を説きました。
  • 韓非子が出典の成語や名言に、「矛盾」「逆鱗」「唯唯諾諾」「一顰一笑」などがあります。