ここでは、「性悪説」の正しいや「性善説」との違い、ビジネス上でのなどについて解説しています。

「性悪説」と「性善説」は古くから宗教や哲学、教育など、さまざまなジャンルで論じられてきた重要なテーマのひとつです。

ただ、孟子が唱えた「性善説」にしても、荀子が唱えた「性悪説」にしても、本来の意味が周知されているとはいえません。
特に「性悪説」については、「人は生まれながらにしてワルである」という意味で用いられる場合が多く、いまや悲観主義思想の代名詞になっていますが、「性悪説」の本来の趣旨はそういうことではありません。

この記事を通して、「性悪説」の本来の意味を学ぶことができます。
性悪説を「人は罪、人はワル」の意味だと 認識している方は、この記事を読んで目から鱗を落としましょう。

性悪説の読み方・語源・意味・使い方

性悪説の読み方

「性悪説」は「せいあくせつ」と読みます。

この場合の「性」とは、物の本質や、人生まれ持った本性を示す言葉です。
「性悪」は「しょうわる」とも読めますが、「性悪説」を「しょうわるせつ」と読みません。その点は注意が必要です。

性悪説の語源

性悪説は、中国で戦国時代末期に活躍した荀子(じゅんし 紀元前313年?~紀元前238年)という思想家が提唱した、とても有名な学説です。

荀子は「性悪篇」という著書の中で、人間心理の本質について「人之性悪 其善者偽也(人の性は悪なり その善なるものは偽なり)」と記しています。
この提議が、「性悪説」の由来となっています。

性悪説の正しい意味は「努力によって善を獲得できる」

荀子の性悪説は、孟子(もうし 紀元前372年?~紀元前289年)の性善説を根本的に否定した学説です。
性善説の基本は、「人間が生まれ持った本性は善である」という主張にあります。

一方、性悪説は「人間が生まれ持った本性は悪であり、善の性質は努力や教育によって後天的に獲得される」と主張しています。

ここで注意していただきたいのは、荀子が提唱する「性悪説」の「悪」とは、現代の我々がイメージする「悪」の意味ではないことです。

すなわち性悪説でいう「悪」とは、「人間は身も心も非常に弱い存在であり、欲望や快楽などの煩悩に流されやすい欠点がある」という意味であり、「犯罪や陰謀など、有害で非道な行為」の意味ではない、ということです。

また、「其善者偽也(その善なるものは偽なり)」の「偽(ぎ)」についても、「偽=偽善や欺瞞」を意味するものではありません。

つまり、この場合の「偽」とは、「偽(にせ)」ではなく「人+為」=「人間の行為」のことであり、人が後天的な努力や修練を重ねて獲得するものを意味しています。

仏教哲学を中心とする東洋思想では、「善」の反対は「悪」ではありません。善の反対は「煩悩」となります。

性悪説もまた、人は本来、生まれつき煩悩に流されやすい弱い性質(=悪)があること、そして「善」の要素は努力と勉学に励むことで後天的に獲得するものだと主張しています。

つまり、人間の生まれつきの弱さは決して変えられないけれども、たゆまぬ努力と勉学によって、善の知識と正しい礼節を身につけることができる。だからこそ、人間には正しい教育を与えることが重要なのだと結論づけているのです。

性悪説と性善説の違い

「性悪説」とは、前述のように「人は本来、煩悩に弱い生き物だが、努力によって善を獲得できる」と主張する学説です。
一方、孟子の「性善説」は、「人は本来、善である」と主張しています。

そのため性善説は「ほんとうに悪いやつは世の中にはいない」という楽天的な思想であり、逆に性悪説は「人を見れば泥棒と思え。決して人を信じるな」と声を大にして警告する猜疑心の塊みたいな思想と思われがちですが、実は両論とも、ほんとうの趣旨は意外なほど似ています。

性善説が「人間は道徳的に正しい行いをする『善』の心を先天的に具有している」と主張しているのは事実ですが、一方で、孟子の性善説が唱える「善」の心には、「悪」や「煩悩」など外からの悪影響や誘惑におかされやすい、という欠点があります。

そしてその結果、人は生まれつき「善」の性質を持ちながら、社会に悪が横行し、世の中が乱れることになるのです。
孟子の性善説は、人が悪や煩悩の誘惑に流されず「善」の心を維持するためには、たゆまぬ努力と精進を惜しまないことが重要だ主張しています。

つまり性善説は「悪い人にならないために努力と勉学に勤しめ」と説き、性悪説は「善い人になるために努力と勉学に勤しめ」と説いているわけです。
その意味では、性善説も性悪説も、根本的には同じことを主張していると言ってもよいでしょう。

性悪説のビジネス上での使い方

ビジネスシーンでの「性悪説」といえば、「セキュリティ対策は『性悪説』を基本に構築すべき」とか「日本企業同士の取引は『性善説』でも良いが、海外との取引では『性悪説」』で対応しないと痛い目にあう」などとよく言われます。

このように、ビジネスの提言で「性悪説」が持ち出されるときは、荀子が唱えた本来の性悪説の趣旨とは逆の意味で使われている場合がほとんどです。

一方で、「人間は生まれつき煩悩に弱く利己的だが、努力と学習によって善なる行いを習得できる」という、性悪説本来の趣旨に沿って、社員の失敗に懲罰を適用せず、失敗した社員がその経験から前向きな教訓を得られるような環境作りを進める会社もあります。

ただし前述したように、ビジネスシーンで使われる「性悪説」の多くは、「人は生まれながらに悪である」という誤った解釈にもとづいていることは否定できません。

このような状況では、性悪説の正しい解釈を経営のモットーにしている会社も、「我が社のモットーは『性悪説』です」とか「性悪説にもとづく誠実な社員教育を施します」などと公表してしまうと、社員を信用しないブラック企業のように誤解されてしまうのが現実です。

性悪説の本来の趣旨は、「人間は生涯努力し、学習し続けることによってのみ、善の心や行いを習得することができる。だから努力と学問を怠ってはならない」というものです。

それ自体は現代にも通じる提言ですが、「性悪説」の意味がこれほど広く誤解されている以上、ビジネスシーンでは良い意味の格言として使用するのは避けた方が無難でしょう。

性悪説の表現

性悪説の英語表現としては、「Born evil by nature(生まれつきの悪)」「Inherently evil(本質的な悪)」などがあります。
いずれも「悪」は「evil」と表現されています。

その意味では、性悪説本来の趣旨を忠実に英訳しているとは言えませんが、海外でも性悪説は、「人は生まれながらにしてワルである」という意味の東洋思想だと理解されているため、英語では「Born evil by nature」「Inherently evil」と訳されます。

まとめ

  • 性悪説は「人が生まれ持った本性は悪であり、善の性質は教育によって後天的に獲得される」という学説です。
  • 性悪説でいう「悪」とは、「人は弱い存在であり、煩悩に流されやすい」といった意味であり、「有害で非道な行為」のことではありません。
  • 性善説と性悪説は真逆の思想ですが、「善い人になるには努力と勉学が必要」という結論は同じです。
  • 性悪説の英語表現としては、「Born evil by nature」「Inherently evil」などがあります。