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この記事では「琴線に触れる」について解説いたします。実は文化庁の調査(平成19年、27年)では、誤用、もしくは分からないと回答した人が57.8%、半数以上の人が正しい意味を知りません。どこかしらで見聞きしたことはあっても、その意味や使い方についてはよく分かっていないという人も少なくないかもしれません。
それは普段「琴線」という言葉を使わなかったり、この言葉だけでは直感的に意味を理解しにくかったりするからでしょう。そこで今回は「琴線に触れる」の読み方や意味、使い方やよくある誤用表現、言い換え表現や対義語なども交えてピックアップしました。
この記事の内容が少しでも参考になれば非常に幸いです。
「琴線に触れる」の意味や読み方
まずは「琴線に触れる」の基本となる読み方と意味から確認していきましょう。「琴線に触れる」は「きんせんにふれる」と読み、「感銘や深い共感を感じること」という意味です。
「琴」は「こと」と読めることから「ことせんにふれる」と読まれているケースが散見されますが、これは誤読なので注意した方が良いでしょう。
「琴線に触れる」は単にちょっと心が動いたという程度ではなく、心に深く響くほど強く心が揺さぶられた時に使われます。例えばプロのアーティストの生演奏を聞いたり、旅行先の壮大な絶景を目にしたりするなど、日常生活では味わうことができない感動的な体験をした際などが「琴線に触れる」場面です。
テストで良い点を取った、上司に褒められたなど、日常の中で起こる良かったことには使用しないので、「琴線に触れる」という言葉を使用する機会は実はそれほど多くないかもしれません。したがってここぞという場面でこそ使うのが良いでしょう。
あまりにも「琴線に触れる」という言葉を頻繁に使ってしまうと、「この人はたとえ大したことのないようなことにでも感動してしまうような人だ」という印象を持たれてしまいかねません。そのようなことがないように、上記の通り使う頻度や場面は厳選した方が良いといえます。
なお「琴線」とは美しい音色を奏でることで有名な楽器「琴」の線のことです。琴が糸に触れることにより、非常に繊細で心に響く美しい音がします。
このことから「琴線に触れる」という言葉が「賢明や深い共感を感じること」という意味になったと推察することができるできるでしょう。琴という楽器をよく知っている人にとっては、そのことがより実感しやすいかもしれません。
琴線に触れるの由来
「琴線に触れる」という言葉は周の時代の中国で生まれた故事に由来しているとされています。当時の中国の漢文『烈子』の中には「琴線に触れる」の由来になっていると思われる表現が存在するからです。
『列子』の中には琴の名手である伯牙(はくが)という人物が親友の鐘子期(しょうしき)に琴を奏でます。その音色を聴くだけで鐘子期は伯牙の心情を理解することができ、そのことに感銘を受けたことが由来です。
このことから心の奥にある感情が動かされ、共鳴することを「琴線に触れる」ようになったということです。実は中国では今日でも心情を琴の糸になぞらえ、感動や感銘を表します。それは上記の由来からきていると推測できるでしょう。
「琴線に触れる」の使い方や例文
「琴線に触れる」は上述したように日常生活の中ではなく、非日常的な体験をしたりすることで強く感動し、強く共鳴した場面で使う言葉です。例えば誕生日のサプライズを受けるなども感動する体験ではありますが、「琴線に触れる」という表現は少し大袈裟に感じられるでしょう。
したがって「琴線に触れる」という言葉を使用するのは、かなり限定的な場面だといえます。そのことを踏まえた上で、以下の使用例を一つずつ確認していきましょう。
- 直近で琴線に触れる出来事といえば、長女がピアノのコンクールで懸命に演奏している姿を目にした時だ。
- 北海道の雄大な自然を目の当たりにして、正しく琴線に触れるとはこのことだ。
- 落ち込んだ時に観ると決めているこの映画は、いつも私の琴線に触れる最高の内容だ。
「逆鱗に触れる」と「琴線に触れる」の意味の違いは?よくある誤用表現
「琴線に触れる」は日常的にしばしば使うような言葉ではないことや、他の言葉と混同して使われたりすることなどから、誤用されてしまうことが度々あります。文化庁の調査(平成19年、27年)では、「琴線に触れる」の意味を誤解しているという人が少なくないようです。
例えば韓非子の「逆鱗に触れる」という言葉がありますが、「触れる」という言葉が「琴線に触れる」と共通していることから混同しているという人が散見されます。「逆鱗に触れる」とは「目上の人を激しく怒らせること」という意味です。
そのため「琴線に触れる」を「目上の人を激しく怒らせること」という意味だと誤解している人がいるのでしょう。これでは本来の意味とは大いにかけ離れてしまい、誤った「琴線に触れる」の使い方をすると正しく理解している人の混乱を招く恐れが出てしまいます。
このようなことがないように、「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」をしっかりと区別することが肝要です。なお「逆鱗に触れる」は上述したように、目上の人に対してのみ使うのが正しい使い方だとされています。
部下や後輩など自分よりも立場が下である人に対しては使用しないので、併せて覚えておくと良いかもしれません。「触れてはいけない話題に触れる」という意味で誤解している人もいますが、こういった意味もないのでこの点にも注意しておきましょう。
また「怒りに触れる」という言葉とも混同されてしまうことがあります。「怒りを買う」は「自分の方に原因があって、相手に悪感情を持たれること」です。
同じように「恨みを買う」や「反感を買う」といった表現もありますが、これらと「琴線に触れる」は全く別の意味だということははっきりと認識しておいた方が良いでしょう。「琴線に触れる」はポジティブな言葉ですがこれらはネガティブな意味があるので、誤用すると思わぬトラブルを起こしかねません。
なお「触れてはいけない話題やタブーに触れる」というのも誤っています。「触れる」という言葉が共通する以外は全く別の言葉です。
「琴線に触れる」と上記のような言葉に限らず、言葉を誤った意味として認識すると相手を立腹させたりしてしまう危険性があります。「こういう意味だろう」と早とちりせず、まずは意味を調べてみるという姿勢が大切かもしれません。
「琴線に触れる」の言い換え表現
「琴線に触れる」の言い換え表現としては「感銘を受ける」や「胸を打つ」、「心を奪われる」といったものが挙げられます。「感銘を受ける」は「かんめいをうける」と読み、「忘れられないほど、深く感動する」という意味です。
「胸を打つ」には「強い感動を受ける」という意味があります。そして「心を奪われる」は「心を強く惹きつけられる」という意味で使われる言葉です。
いずれも強く感動したり心を惹きつけられたりする意味があるので、「琴線に触れる」の言い換え表現として適当だといえるでしょう。またそれらの言い換え表現の例文について、以下にそれぞれまとめました。
- 今年話題になった映画を観て、噂以上の内容で強く感銘を受けた。
- これまでで最も感銘を受けた本は、いつでも読めるように常に携帯している。
- 感銘を受けるほど心が大きく奪われる機会というのは、日常生活の中ではそれほど多くない。
- 試合で勝ち、人目もはばからず嬉し泣きしている長男の姿に胸を打たれた。
- 直近で胸を打つような体験は、特に思い当たらない。
- 真剣に努力をすることは、あらゆる人の胸を打つ尊い行為だ。
- 彼女のあまりの美しさに、周囲の人はすっかり心を奪われてしまった。
- 今年最大のヒット作となったこのゲームに、多くの人が心を奪われることになった。
- 彼の受験勉強へのひたむきさにはすっかり心を奪われた。
「琴線に触れる」の対義語
「琴線に触れる」の対義語は、感銘や深い感動を感じたという意味と反対の意味を持つ言葉が当てはまります。したがって「琴線に触れる」の対義語としては、「無関心」や「無感動」といったものが考えられるでしょう。
「無関心」は「そのことに興味・関心が乏しく、気にもかけないこと」という意味です。「無感動」は「心を動かされないこと」や「感動しないこと」といった意味で使用されます。
いずれも感銘や深い感動という言葉とは真逆の意味がある言葉なので、「無関心」や「無感動」は「琴線に触れる」の対義語として適切だといえるでしょう。また「無関心」と「無感動」を使った例文としては、下記のようなものが挙げられます。
- 昨今では政治家に対する不信感から、政治に対して無関心な若者が増えてきたような気がする。
- 彼は無関心を装っているが、実は新作のゲームが気になって仕方ないようだ。
- 一人ひとりの無関心を変えていくことが、地球環境問題の最もふさわしい解決策かもしれない。
- 仕事と家事の繰り返しだけで毎日が過ぎてしまい、無感動な生活を送っている。
- 無感動な毎日に嫌気がさし、一念発起して北海道に移住することを決めた。
- 彼女は無感動な日々を過ごすような人生は耐えられないと公言している。
まとめ この記事のおさらい
- 「琴線に触れる」は「きんせんにふれる」と読み、「感銘や深い共感を感じること」という意味がある
- 「琴線に触れる」の由来は周の時代の漢文『列士』だとされている
- 「琴線に触れる」のよくある誤用表現として、「目上の人を激しく怒らせること」という意味の「逆鱗に触れる」と混同されてしまうことが挙げられる
- 「琴線に触れる」の言い換え表現としては「感銘を受ける」や「胸を打つ」、「心を奪われる」といったものが考えられる
- 「琴線に触れる」の対義語は「無関心」や「無感動」といったものが挙げられる