この記事では「五十歩百歩」の読み方や意味について解説いたします。

漢文の授業で習ったなどの理由で何となくの意味などは分かっていても、はっきりとした意味や使い方については理解していないという人もいるかもしれません。

そこで今回は「五十歩百歩」の意味や使い方、由来やビジネス上での使い方、類義語や英語表現なども交えてピックアップしました。

この記事を通して「五十歩百歩」への理解が深まれば幸いです。

「五十歩百歩」の読み方・意味・使い方


「五十歩百歩」は「五十歩」(ごじゅっぽ)と「百歩」(ひゃっぽ)という二つの言葉が並んだ言葉ですが、「五十歩百歩」ということわざでの読み方は基本的に「ごじっぽひゃっぽ」です。

なお「十分」は「じゅっぷん」ではなく「じっぷん」が正だとされていたように、熟語の「十」は「じっ」と読まれていました。

しかし昭和41年NHK放送用語委員会で「二十世紀」の読みについて、「じっ」と「じゅっ」の両方の読み方を認めています。

このように言葉は時代とともにその発音や意味が変遷していくので、今後「ごじゅっぽ」と発音されるのも許容されるようになるかもしれません。

「五十歩百歩」の意味は「似たり寄ったりであること」や「多少の違いはあるが、基本的には同じであること」です。

言葉通り「五十歩も百歩も似たようなものだ」も「五十歩も百歩も基本的には同じようのものだ」と解釈するとよいでしょう。

ちなみに、「五十歩百歩」は「五十歩を以て百歩を笑う」(ごじっぽをもってひゃっぽをわらう)とも呼ばれます。

この際に合わせて覚えておくと良いかもしれません。

また「五十歩百歩」の使い方としては、例えば次のようなものが挙げられます。

彼らの成績は大して変わらないので、端から見れば五十歩百歩だ。

例えばテストの点数を競っていた二人の点数が数点しか変わらないのであれば、それは周りから見るとほとんど同じです。

この例では、彼らの成績がほとんど変わらないので、端から見ると似たようなものだということを表しています。

迷っているばかりでは何もしていないのと同義なので、五十歩百歩だといえる。

迷っているというと本人は真剣に考えているつもりかもしれませんが、行動に移さなければ何もしていないのと同じだともいえます。

今回の例だと、迷ってばかりいるのは何もしていないのと基本的には同じだということです。

迷うこと自体は必ずしも悪いことではありませんが、具体的な行動が伴って初めて意味を持つといえるかもしれません。

「五十歩百歩」の由来は中国の漢文

「五十歩百歩」の由来は中国の漢文「孟子」です。

戦国時代、中国の梁(りょう)の恵王(けいおう)が「凶作の地にいる人を移住させ助けようとしてあげているのに、人が集まってこない。これは一体なぜだ?」と孟子に問いました。

それに対して孟子は「戦地で五十歩逃げた人が百歩逃げた人を臆病だと嘲笑ったらどう思うか?」という例え話を持ち出したとされています。

この例え話を受けて恵王は「逃げたという事実は変わりないから、それは同じである」と答えました。

孟子は「その道理が理解できていらっしゃるなら、他国より多い人数を望むべきではありません」と返しました。

つまり「王様の政治は他の国の政治と大差ありません。王様がやったのは豊作だった地域の作物を移動させただけだ」ということを表しています。

もう少し解釈を加えると、「凶作で苦しんでいる人たちに国の倉庫から食料を提供したわけではない。 そこまでやらないと他の国より優れた政治をしているとはいえない。」という意味です。

孟子はこの例え話を出すことによって、梁も他国と同等の立場にあるのに相手を嘲笑う愚かさを表現したのです。

なお当時の中国では、国にどれだけの人民がいるかで争いをしていた背景があります。

「五十歩百歩」のビジネス上での使い方


「五十歩百歩」はビジネス上でも度々使われることがあることわざです。

その使い方としては、例えば下記のようなものが挙げられます。

SPIの結果はほぼ同じなのだから、彼らのどちらを採用しても五十歩百歩だ。

新卒採用する際の指標として、「SPI」(SPI総合検査)が用いられることはしばしばあります。

今回の例では、「SPI」の結果がほとんど変わらないので彼らのどちらを採用にしても基本的には同じだということです。

なおSPI総合検査は性格と能力の2領域を測定します。

A社とB社の提示額はほとんど同等なので、どちらから購入しても五十歩百歩だ。

ある商品を買いたくて相見積もりを取った際、その提示額がほとんど同じであるということは十分あり得ることです。

この例だと、A社とB社の提示額がほぼ同じだったのでどちらで買っても似たようなものだということを表現しています。

「五十歩百歩」の類義語と例文

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「五十歩百歩」の類義語には、次のようなものがあります。

・どんぐりの背比べ

・大同小異

その他にも「猿の尻笑い」(さるのしりわらい)や「目糞鼻糞を笑う」(めくそはなくそをわらう)、「一寸法師の背比べ」(いっすんぼうしのせいくらべ)などもほとんど同じ意味です。

また上記の類義語を使うと、下記のような例文を作ることができます。

あの二人の成績は、正直なところどんぐりの背比べだと言わざるを得ない。

「どんぐりの背比べ」は「どれもこれも似たり寄ったりで、抜きん出た者がいないことの例え」です。

つまり、「似通ってはいるもののそのレベルはあまり高くない」ということを意味しています。

この例では、あの二人の成績はあまり高くないレベルでほとんど同じであるということです。

こだわりがない人からすると、どのブランドの商品を買うのも大同小異だ。

「大同小異」は「だいどうしょうい」と読み、「細かいところに多少の違いはあるが、概ね同じであること」や「大差がないこと」ということを意味しています。

服やカバン、食料や家電など、どれでも良いという人からするとそれぞれのブランドの違いはほとんど気にならないものです。

今回の例だと、こだわりがない人からするとどのブランドの商品を買うのも大差ないということを表しています。

なお「大同」はほぼ同じである様子、「小異」は少しの違いを表現する言葉です。

「五十歩百歩」の英語表現


「五十歩百歩」の英語表現としては、「slight difference」や「not much difference」、「nearly the same」といったものが適当でしょう。

上記の表現は、いずれも「似たようなもの」や「ほぼ同じ」といった意味です。

まとめ この記事のおさらい

・「五十歩百歩」は基本的に「ごじっぽひゃっぽ」と読み、「似たり寄ったりであること」や「多少の違いはあるが、基本的には同じであること」という意味がある

・「五十歩百歩」は「五十歩を以て百歩を笑う」と呼ばれることもあるが、その意味はほとんど変わらない

・「五十歩百歩」は中国の漢文「孟子」に由来している

・「五十歩百歩」の類義語は「どんぐりの背比べ」や「大同小異」、「猿の尻笑い」や「目糞鼻糞を笑う」、「一寸法師の背比べ」などが挙げられる

・「五十歩百歩」の英語表現としては、「似たようなもの」や「ほぼ同じ」という意味がある「slight difference」や「not much difference」、「nearly the same」といったものが適当