性善説とは?意味やビジネス上の使い方、性悪説との違いを解説

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ここでは、「性善説」の意味や使い方について解説しています。

またこの記事を通して、「性善説」と「性悪説」の違い、「性善説」のビジネス上での使い方などについても学ぶことができます。

性善説の読み方・意味・使い方


「性善説」は、「せいぜんせつ」と読みます。

「性善説」とは、「人の本性は「善」である」と言う説のことを示します。

「性善説」では、「人の本性は本来「善」であるため、努力を惜しまなければ立派な人間になることが出来る」と説いており、努力を怠れば「悪」にもなり得るという戒めの意味も込めています。

「性善説」では、人は下記に挙げる4つの心(四端の心)を本来的に備わっているとし、これら4つの道徳感情を努力して拡充することによって、それぞれが“仁・義・礼・智”という4つの徳へと育てることを目標としています。

惻隠

人の不幸を放っておけない心

羞悪

自分のした悪い行動を恥じる心

辞譲

お互いに譲り合える心

是非

善悪を見分けることが出来る心

性善説の語源


「性善説」の「性」とは、「人の本性や物の本質」を示します。
また「善」とは、「良いこと。道理にかなっている事」を表します。

「性善説」の語源は、中国の儒家・孟子の言葉とされています。

孟子は「人々が善を思うのは、誰にも先天的に道徳的本性があるからであり、これを拡大しさえさえすれば、誰でも善人・聖人になれる」と説き、これを「性善説」と呼んでいます。

性善説の間違われやすい解釈


「性善説」とは、前述の通り「人の本性は善である」という説です。

しかし、孟子が説く「性善説」の中には、

“其の性も亦猶ほ是くのごとければなり”
(人の本性は善である。しかし時に「不善」になるのは、必ず下に流れるはずの水が人為的な力で上に昇ることがあるのと同様に、人為的な外からの力の結果である。)

とあり、人の本性は善ではあるが、努力を怠れば「悪」にもなり得ると説かれています。

そのため「性善説」を「人の本性は善だから信じてよい」と楽観的にとらえることがありますが、これは間違った解釈となります。

性善説と性悪説の違い


「性悪説」とは、「人の本性は悪である」とする説のことを言います。

「性悪説」は中国の儒家・荀子が唱えた説です。

荀子の説く「性悪説」の中には、

“人之性悪、其善者偽也“
(人間の本来の性質は悪であり、それが善であるということは人為によるものである。)

とあり、人の本性は悪ではあるが、後天的努力によって「善」へ向かうべきだと説かれています。

「性善説」と「性悪説」は、人の本性を「善」とするか「悪」とするかという点では、正反対の説ではありますが、その後の努力によって「善」を目指すという点では、求めるところは同じくしています。

性善説のビジネス上での使い方


「性善悦」をビジネス上で使用する場合、「性善説」の意味は本来の意味ではなく、上記に挙げた「間違った解釈」=「人の本性は善だから信じてよい」という意味で使われることが一般的です

例えば、「“性善説”に基づいて取引を行う」場合、“相手が善人であり決して嘘をいわない”“きちんと契約してくれる”ことを前提に取引を交わすこととなります。

また、「“性善説”に基づいて新入社員教育を行う」と言った場合は、“新入社員の能力を信じて教育を行う“”立派な社員になることを信じる“ということになります。

「性善説」のビジネス上の使い方として、

  • 弊社の会社規定は、「性善説」に基づいて作成されている。
  • 「性善説」では継続的にビジネスを行うことは困難である。
  • 海外において「性善説」でビジネスを行うことは危険である。
  • 「性善説経営」と「性悪説経営」はどちらが良いのか議論する。

などが挙げられます。

性善説の類義語と例文


「性善説」と似た意味の言葉に「性弱説」があります。
「性弱説」とは、「人間は弱い物である」とする考え方を示します。

「性弱説」においては、

人間には本来弱いところがある。そのため迷い、悩み、ためらう。そして、時には過ちを犯してしまうこともある。

としており、「良い心をもっていても、努力を怠ると「悪」になり得ることもある」という点で、「性善説」に似た意味を持つ言葉となります。

「性弱説」の例文として、

・官僚は聖人君子でもなければ悪人でもない。「性弱説」で考えるべきだ。
・「性善説」に基づいて規定を作っても経営不振になる企業は多くある。人間はどんな立派な人でも弱い物だ。そのため「性弱説」で規定を定めることを提唱する。

などが挙げられます。

性善説の対義語と例文

cf.
「性善説」の対義語は、「性悪説」です。そのため、「性悪説」の類義語が「性善説」の対義語になると考えらえます。

「性悪説」の類義語として、「悪者」「外道」「人でなし」などが挙げられます。

いずれも、「存在そのものが悪である人」「道徳的な気の咎めを感じない人」「あなたの味方ではない人」を意味する言葉で、「悪の心を持った人間」という点では、「性善説」の対義語と言えます。

「悪者」の例文として、

・私一人が悪者になれば、この問題は片付くだろう。
・あいつがどんな悪者だったとしても、私を助けてくれたことに違いはない。

などが挙げられます。

 

「外道」の例文として、

・刑事という職についていれば、時には外道の逆恨みのような筋違いの怨恨を受けることもある。
・彼のような外道とは、速やかに縁を切るべきだ。

が挙げられます。

 

「人でなし」の例文として、

・この人でなしが!
・彼のような人でなしでも、死んだら悲しむ人がいるに違いない。

などが挙げられます。

性善説の英語表現


「性善説」の英語表現として、「Born good by nature」「Inherently good」「fundamentally good」が挙げられます。

「Born good by nature」は、「Born(生まれる)」「good(良い)」「by nature(生まれつき)」の言葉通り、“生まれつき良い”という意味を持つ言葉です。
例文としては、

・He is born good by nature.
(彼は生まれつきの善人です)

となります。

 

「Inherently good」は、「Inherently(本質的に、もともと)」「good(良い)」の言葉通り、“本質的に良い”と言う意味を持つ言葉です。
例文としては、

・Rousseau’s philosophy holds that people are inherently good.
(ルソーの哲学は、人々が本質的に良いと考える)

となります。

 

「Fundamentally good」は、「fundamentally(根本的に)」「good(良い)」の言葉の通り、“根本的に良い”と言う意味を持つ言葉です。
例文としては、

・I believe that people are fundamentally good.
(私は性善説を信じています)

となります。

 

まとめ この記事のおさらい

  • 「性善説」とは、「人の本性は「善」である」と言う説のこと示す。ただし、努力を怠れば「悪」にもなり得るとしている。
  • 「性善説」では、人間は“4つの心(四端の心)”を本来的に備わっているとしている。
  • 「性悪説」とは、「人の本性は「悪」である」と言う説のことを示す。ただし、後天的努力によって「善」へ向かうべきだとしている。
  • 「性善説」と「性悪説」は、まったく異なる説のように見えるが、「善」を目指す点では同じである。
  • ビジネスの世界における「性善説」は“誤った解釈”である「人は善人だから信用してよい」という意味で用いられることが一般的である。
  • 「性善説」に似た言葉に「性弱説」がある。
  • 「性善説」の対義語は、「悪者」「外道」「人でなし」である。
  • 「性善説」の英語表現として、「Born good by nature」「Inherently good」「fundamentally good」が挙げられる。