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この記事では、「アリストテレス」の生い立ちや生涯、思想、名言などについて考察します。
「アリストテレス」の名前は知っていても、具体的にどのような生涯を過ごし、どのような思想を持っていたのか説明できる方は少ないでしょう。偉大な哲学者ぐらいは分かってもなぜ偉大なのか明確に答えられるでしょうか?
アリストテレスは哲学だけでなくさまざまな学問の基礎を築き上げた偉人です。この記事を通して、「アリストテレス」の生涯や思想の概略を学び、社会人としての知識の幅を広げてください。
ソクラテスの名言|思想や生涯などを紹介!
アリストテレスとは
アリストテレスは、古代ギリシャの哲学者プラトンの弟子で、プラトンと並び古代ギリシャ最大の哲学者です。プラトンに深い影響を受けながら、師とは異なる独自の体系を築き上げました。
アリストテレスは「万学の祖」
アリストテレスは、しばしば「万学の祖(ばんがくのそ)」と呼ばれます。それは、アリストテレスが築き上げた体系は、哲学だけでなく自然科学や政治学などさまざまな学問に及びます。現代の科学や学問に大きな影響を与えているのです。
では、アリストテレスはどのような人生を送ったのでしょうか?
アリストテレスの生い立ちと生涯
アリストテレスは、紀元前384年マケドニア王国トラキア地方スタゲイロス(スタゲイラ)に生まれました。父親のニコマコスは、マケドニア王の侍医、母はファイスティス。アリストテレスが幼いころに両親と死別し、義兄の元で暮らしたと言われています。
17歳でプラトンの門下生に
17歳でアテナイ(アテネ)に出てプラトンが主催するアカデミアの門下生に。プラトンが没するまでの20年間、学生から教師としてアカデミアで研究生活を送りました。その後、トロイ地方のアッソスに移り、支配者であったヘルメイアス姪のピュティアスと結婚。
そして、42歳の時には後のアレクサンドロス大王になる13歳のマケドニア王子の家庭教師として、さまざまな学問を教えました。紀元前335年には、アテナイに戻りリュケイオンという学園を開設。約12年間でアリストテレスの著作の大部分を書き残したと言われています。
アレクサンドロス大王の死後、反マケドニア運動が激しくなりアリストテレスはアテナイから追放され、母親の生地であるエウボイア島のカルキスに逃れました。翌前322年62歳で人生の幕を閉じたのです。
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アリストテレスの思想
アリストテレスの思想は、「この世の本質は個々の独立・超越した目に見えない世界にある」というプラトンの「イデア論」と異なり、「本質は個々に宿る」というものです。具体的かつ現実的な事実から普遍的なものを捉えるという手法を唱えました。
この手法に基づいてさまざまな学問の基礎となる思想を築き上げたのです。アリストテレスは、学問を6つに分け、「論理学」「自然学」「形而上学」「倫理学」「政治学」「詩学」の順で体系的に学ぶのが良いとしています。
論理学
アリストテレスの重要な概念のひとつが「三段論法」です。「すべての人間は死す。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死す」のように2つの前提から1つの結論を導き出す論法です。その後の形式論理学の基礎を築き上げました。
また、存在の形態には「実体・量・性質・関係・場所・時・位置・状態・能動・受動」の10の範疇(カテゴリー)があると提示しています。これらの範疇で世の中の存在を記述できると定義しています。
アリストテレスは、これらの範疇の中で「実体」を「主語になるもので述語にならないもの」と定義しています。例えば、バラにはさまざまな色があり、庭に咲いて居たり花瓶に飾ったり、プレゼントとして花束になったりします。
つまり、バラは諸々の述語につく共通の主語であり、実体であるのです。この実体の概念はその後、さまざまな哲学の重要なテーマになっています。
自然学
自然科学における物事を説明する概念としてアリストテレスが提唱したのが「四原因説」です。自然界に存在するものは「形相因」「質料因」「目的因」「始動因」で把握されるという理論。
例えば、椅子は人が座るための形(形相因)をして、木や金属などの素材(材質因)で成り立っています。また、会社用なのか個人用なのかの目的(目的因)によって異なり、買ってきたものか自分で作ったものかなどの原因(始動因)も関係してきます。
また、自然学では「可視態」と「現実態」という概念も提示しています。可視態とは、事前物が生成される過程の状態のことで、現実態とはその過程から最終的な状態になったものです。
例えば、アオムシはアゲハ蝶になる過程の「可視態」で、アゲハ蝶は、最終的な「現実態」となります。
形而上学
アリストテレスの概念の中でももっとも有名なのが、この形而上学(けいじじょうがく)です。形而上とは、人間の感覚や経験を超えた存在のことで、プラトンのイデア論はまさに形而上学ですが、「形而上学」という学問を築いたのはアリストテレスです。
アリストテレスは、「物事の本質は実体にある」という思想から形而上学を存在論として体系的に展開しています。
倫理学
倫理学においてアリストテレスは、人間の行為の目的は「善」であり、最終的な目的に「最高善」があると述べています。最高善は「幸福」とも呼ばれ、つまり人間は幸福を得るために行動すると解釈できます。
但し、この最高善を得るためには、「徳」を習慣化することであると説いています。この「徳(ヘクシス)」とは、人間としての最善なあり方であり、徳を得るためには「中庸(メソーテス)」を選択することが重要であると指摘しています。
例えば、勇気の徳とは、恐怖心の少ない無謀ではなく、また過度に恐怖を抱く臆病でもない、この中間にあるのです。
政治学
アリストテレスは、「人間はゾーオン・ポリティコン(国家的動物)である」と言及し、公共生活の中で「善」は実現されると指摘しています。つまり、個人レベルの倫理学における幸福の追求が可能な国家の仕組みが重要であると考えたのです。
詩学
「詩学」とは、「詩」だけではなく芸術全般を意味しています。アリストテレスは、詩学において「創作の本質は、模倣(ミメーシス)にある」と述べ、悲劇が最高の文学という観点に立ち叙事詩と悲劇の比較を論じています。
アリストテレスの名言
アリストテレスは、さまざまな研究の中で数多くの言葉を残しています。それらの言葉の中には現代にも通じる名言が少なくありません。ここでは、10の名言をピックアップして紹介します。
- 自分を知ることは、すべての知恵の始まりである。
- 自然には何の無駄もない。
- 不幸は本当の友人でない者を明らかにする。
- 教育の根は苦いが、その果実は甘い。
- 最大の美徳は、他人の役に立てることだ。
- 悪は人々を一致させる。
- 法は社会の秩序であり、良い法は良い秩序である。
- 孤独を愛するものは野獣か、しからずんば神なり。
- 幸せかどうかは、自分次第である。
- 多数の友を持つ者は、一人の友も持たない。
まとめ この記事のおさらい
- アリストテレスは、古代ギリシャの哲学者プラトンの弟子で古代ギリシャ最大の哲学者。
- アリストテレスは17歳でプラトンの門下生になり、アレクサンドロス大王の家庭教師にもなるが、アレクサンドロス大王死後、アテネから追放され小さな島で64歳の生涯をとじました。
- アリストレレスはプラトンのイデア論と異なり、現実的な事実から普遍的なものを捉えるという手法を唱えました。
- アリストテレスは、哲学だけでなく「論理学」「自然学」「形而上学」「倫理学」「政治学」「詩学」などの体系を築き上げました。
- アリストテレスの言葉は、現代にも通じる名言として数多く残っています。