ソクラテスの名言|思想や生涯などを紹介!

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この記事では「ソクラテス」について解説いたします。

学校の授業や教養本など非常に幅広い場面で登場する人物ですが、その詳細についてはよくわかっていないという人もいるかもしれません。

そこで今回は「ソクラテス」の生い立ちと生涯、思想や名言なども含めてピックアップしました。

この記事を最後まで読めば、「ソクラテス」をよく理解できるようになることでしょう。

ソクラテスとは


ソクラテス(紀元前469年~399年)は古代ギリシャの哲学者です。

実はソクラテス自身は著書を残していないため、ソクラテスの思想は弟子であるプラトンやアリストテレスの著作によって知られることになりました。

高名な思想家である一方、民衆の反感を買って死刑にされてしまったという一面もあります。

ソクラテスの生い立ちと生涯

前469年にアテナイで生まれますが、ソクラテスの父は彫刻家あるいは石工で、母は助産婦だったといわれています。

前431年(38歳)にペロポネソス戦争が勃発し、重装歩兵としてアテナイ植民地の反乱鎮圧に駆り出されました。

前425年(44歳)にはアポロンの神託所の巫女の言葉から、賢者に対する問答を行い、自らの無知を証明しようと試みます。

その十年後(前415年・54歳)に賢者を名乗る者の多くが本質をわかっていないことに気付き、「無知の知」を広めていくことを志します。

前400年(69歳)には、「無知の知」を広めるべく権力者を論破して回ったことが反感を買い、裁判で死刑を宣告されました。

前399年(70歳)、幼なじみにであるクリントンからの脱走の提案を断り、毒杯を飲んで死亡し、その生涯に幕を閉じます。

ソクラテスの最期は刑死

ソクラテスは「青年を堕落させ、国家の認める神々を認めず、新奇の神を信じることによって罪を犯した」として訴えられ、民衆裁判の結果として死刑になってしまいます。

ソクラテスは自身の理念において、国家も個人も同じ原理が支配するものだと考えていました。

国家の正義は個人の正義であることは死を目前にしても揺らぐことはなく、死刑判決を受容し、幸福そうな様子で最後の一日を過ごし毒杯を飲んだとされています。

「ソクラテス問題」とは

ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、その生涯や思想は他の著作家の作品を通してしか確認することができません。

そうすると誰の著作によってソクラテスの生涯や思想を読み取るかという問題が発生しますが、これが「ソクラテス問題」です。

例えば同時代の作家である劇作家・詩人のアリストパネスは戯曲『雲』においてギリシャの哲学者たちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げました。

その一方でソクラテスは弟子のプラトンに「我が師ソクラテスは世界で1番賢い。」と言わしめるなど、その評価は著作家によって異なるのが現状です。

ソクラテスの思想


ソクラテスはその思想により、後世の哲学者を筆頭に非常に多くの人物に影響を与えました。

この項目では、その中でも特に有名なものを4つ取り上げました。

無知の知

「無知の知」とは自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとする、ソクラテスの真理探究への基本になる考え方です。

ソクラテスはデルポイの神託を受けて、自分より賢いと思われる人々に会いに行きました。

ところが実際に会ってみると、その人たちは真理について理解しているわけでもなく、賢いわけでもなかったのです。

このことからソクラテスは、世間で賢いといわれる人たちは実際には賢いわけではないし、そのことを自覚もしていないと気付きます。

賢くないという点ではソクラテスも彼らと同様ながら、ソクラテスは彼らと違い、自分が賢くないことに対する自覚がありました。

そこで賢くないことに対する自覚がある点では、自分は彼らよりも賢いのではないかと思い至ります。

このような背景から、「無知の知」という考え方を想起したのです。

抽象概念の明確化

ソクラテスは抽象概念の明確化にも力を入れました。

人生や社会に関わる抽象概念や曖昧なことを明確化し、わかりやすくしようとしています。

ソクラテスは曖昧なまま放置されていることを入念に吟味・検証していました。

ソクラテス自身が話をわかりやすくするため、会話の中に「例えば」を用いて曖昧なものを具体的なものに置き換えながら問いていました。

人間の徳(アレテー)

人間の徳(アレテー)とは魂の卓越性のことです。

ソクラテスは富や名誉ばかりにとりつかれる人を非難していました。

「お金持ちになりたい」「地位や名誉が欲しい」と考えること自体は悪いことではありませんが、単に「お金が欲しい」といっても「何の目的で」「どうやって使うのか」が問われることになるのです。

その際「魂の配慮」ともいえる「アレテー」を有していれば、お金にばかり囚われることなく節度や知恵を身につけることができるようになると考えられていました。

問答法(産婆術)

ソクラテスの哲学は常に対話によって導かれますが、その特徴は相手の魂に働きかけ、そこから矛盾を導き出し、指導することにありました。

その問答法は相手が知識を生み出すことを助けることから、「問答法(産婆術)」と呼ばれています。

ソクラテスの名言


ソクラテスは数多の名言を残したことでも知られています。

ソクラテスの代表的な名言としては、下記のようなものが考えられるでしょう。

よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ

ソクラテスの考え方が基になっている名言です。

「現状の自分に満足することなく、探求心を持って探し続けることで、より良い目標や望みを見つけることができる」ということを意味しています。

向上心を持って生きなければ衰退してしまうという意味も含まれており、ソクラテス哲学の根幹を成しているといえるでしょう。

唯一の善は知識であり、唯一の悪は悪は無知である

「無知の知」が基になっている名言です。

ソクラテスは知識を吸収し追求し続けることが、人生をより良くする術だと考えました。

そして知識を得ようともしない者は人間らしさのない悪だと考えていたのです。

ソクラテスは多くの人々と議論・問答をしていますが、これは議論をすることによって、相手が自分自身の無知に気づき、理解する人を一人でも増やそうとしたからでした。

良妻を持てば幸福になる、悪妻を持てば哲学者になる

ソクラテスのユーモアが発揮された名言です。

ソクラテスの妻であるクサンチッペは恐妻として有名でした。

クサンチッペに暴言を吐かれ水をかけられる様子を見ていた周囲の人が「あんな怖い奥さんなら別れればいいのに」とソクラテスに言うと、彼はこの名言を言い返しました。

結婚は決して悪いものではなく、相手次第ではどのようにもなるということを、自分自身への皮肉も込めて口にしたのかもしれません。

まとめ この記事のおさらい

  • ソクラテス(紀元前469年~399年)は古代ギリシャの哲学者
  • ソクラテス自身は著書を残していないため、ソクラテスの思想は弟子であるプラトンやアリストテレスの著作によって知られることになった
  • ソクラテスは民衆裁判の結果として死刑になり、毒杯を飲んだとされている
  • 「ソクラテス問題」とは誰の著作によってソクラテスの生涯や思想を読み取るかという問題のこと
  • ソクラテスの思想には「無知の知」や「抽象概念の明確化」などがある
  • ソクラテスの名言には「よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ」などがある