ら抜き言葉とは ら抜き言葉の例と法則の解説

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新学期や新年度の始まりになると、話題になるのが日本語の乱れです。その中でも乱れのひとつの具体例として挙がるのが「ら抜き言葉」でしょう。ここでは、ら抜き言葉とは何か、ら抜き言葉の見分け方、メリットとデメリット、ら抜き言葉についての研究についてご紹介します。

言語は日々変化するといわれますが、ら抜き言葉も認識に変化がでてきているのがわかります。

ら抜き言葉とはそもそも何か?

「今年は初日の出が見られた」

「今年は初日の出が見れた」

これは、2015年度に文化庁が行った「国語に関する世論調査」での設問のひとつです。結果は、「見られた」が44.6%、「見れた」が48.4%となりました。

日本語の文法的には、「見られた」が正しいのですが、「ら」を抜いた「見れた」が一般的に使われているのです。このように「ら」を抜いた言葉を「ら抜き言葉」といいます。
他によくみられるら抜き言葉には、「食べ(ら)れる」や「出(ら)れる」などがあります。

文化庁 国語に関する世論調査

「ら」抜きになっている言葉の法則

ら抜き言葉は、なんでも「ら」を抜いているわけではなく、法則性があります。「~れる」として可能の意味を表現する、下一段活用または上一段活用、カ変の動詞の可能動詞の「ら」を抜きます。

たとえば、先に挙げた動詞「見る」は、「見る」の未然形の「見(み)」に助動詞の「られる」がつく「見られる」が本来の下一段活用の正しい形です。ちなみに、「食べる」は上一段活用の動詞です。

しかし、これが一般的な動詞の五段活用の可能動詞への活用、たとえば「乗る」の可能の意味の「乗れる」などになぞらえて、下一段活用なのにもかかわらず「見れる」と活用してしまっているのが、ら抜き言葉の法則です。

ら抜き言葉の見分け方

いちいち動詞の活用の仕方から「ら抜き言葉」を見分けるのは、時間がかかります。活用まで覚えている人も少ないでしょう。
簡単な「ら抜き言葉の見分け方」は、「~よう」をつけてみることです。

先ほどのら抜き言葉「見る」は、「見よう」として「~よう」がつけることができます。たいして、正しい活用の「乗れる」の「乗る」は、「乗よう」では成立しません。

他のら抜き言葉、「食べ(ら)れる」は「食べよう」、「出(ら)れる」は「出よう」とできます。
このようにら抜き言葉を素早く見分けることができれば、正しい動詞の使い方を意識しやすいでしょう。

ら抜き言葉のメリット・デメリット

「国語に関する世論調査」の結果からみられるように、ら抜き言葉のほうが常用されてるケースもあります。かつては、ら抜き言葉は若者言葉といわれていましたが、そうとも限りません。言葉が形を変えて使われているということは、メリットがあるからでしょう。

ら抜き言葉のメリットは、「動詞の意味をわかりやすくする」ためです。

「見る」を「見られる」とすると、ら抜き言葉である可能の意味もありますが、使う場面によっては「見られる」という尊敬の意味で使われることもあるのです。「ら」を抜いた「見れる」にすることによって、場面を考慮しなくても「見れる」は可能の動詞の意味合いだとすぐにわかるようになります。

デメリットとしては、「文法的には間違っている使い方である」ことでしょう。確かにら抜き言葉は使われ、意味は通じますが、文法的には誤りです。そのため、ご年配の方や言葉使いに敏感な方には違和感が残るでしょう。

ら抜き言葉に関する最近の研究

「ら抜き言葉」といわれる所以は、「ら」を省略した活用形だからです。しかし、最近のら抜き言葉の研究がツイッターで話題になりました。実は、「ら」が抜けているのではなく、「ar」が抜けているという意見です。日本語史を研究する二松学舎大学の島田泰子教授が講義で論じた概要です。

先と同じく「見る」、「食べる」を例にすると、「見られる」は「見れる」に、そして「食べられる」は「食べれる」とされます。
この2つをローマ字で表すと、「mirareru」は「mireru」、「taberareru」は「tabereru」になるのです。2つとも、「ar」が抜けているのがわかります。

ここでもうひとつ考察したのが、室町時代ころからある可能表現の動詞の活用です。「行く」、「歩く」の可能形として、今は「行ける」、「歩ける」が主流ですが、以前は「行かれる」、「歩かれる」という表現が一般的でした。
この変化は、「行かれる」が「行ける」、「歩かれる」が「歩ける」となります。これらもローマ字に書き直すと、「ikareru」は「ikeru」、「arukareru」は「arukeru」となります。すると、このケースでも「ar」が抜けたことになるのです。

この2つの「ar」を抜く可能の意味合いの動詞の変化の仕方は、日本語としての大きな枠組みで発生しうる抜き方ともいえるでしょう。室町時代に起こった言葉の変化には、今の人は寛容です。しかし、実際に自分たちが生きる時代に起こっている言葉の変化には、なかなかついていけないこともあります。言葉の乱れではなく、長い時間かけて起こる言葉の変化の真っただ中にいると思うと、不思議な感じがします。

教授は、これを言語の時代差と世代差とし、容認すべきものではないかとの疑問を呈しています。

 

yahoo!ニュース「ら抜き言葉」で抜けているのは「ら」じゃない? 予想外の真相が…「正しい日本語」論争への答え

ら抜き言葉のまとめ

  • ら抜き言葉とは、可能の意味合いの動詞の活用形から「ら」を抜いた言葉のことを指します。たとえば、「見る」の可能の活用「見られる」の「ら」を抜いた、「見れる」がら抜き言葉です。
  • ら抜き言葉にも法則があり、「ら」が抜かれる動詞は、下一段活用または上一段活用、カ変活用の動詞の可能形に限られます。
  • ら抜き言葉を簡単に見分ける方法は、動詞に「~よう」をつけて成立するかで確かめられます。先ほどのら抜き言葉「見れる」の動詞「見る」は、「見よう」としても成り立ちます。また、「食べ(ら)れる」の「食べる」も「食べよう」と成立します。これらは、ら抜き言葉にできると判断できます。
  • ら抜き言葉のメリットは、動詞の意味をわかりやすくすることです。デメリットは、いまだ文法的には誤りとされていることでしょう。
  • 最近のら抜き言葉の研究では、ら抜き言葉は「ら」が抜けているのではなく「ar」が抜けているとされる説です。室町時代に起こった「歩く」の可能の意味合い「歩かれる」が今では「歩ける」に変化してしまっているのと、同じ変化の仕方をしているという指摘がされています。