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この記事では「有田焼」の特徴について解説いたします。
「有田焼」という言葉自体は聞いたことがあっても、その特徴や詳細などについてはよく分からないという人も多いことでしょう。
そこで今回は「有田焼」の特徴や用途、売っている場所や種類なども含めてまとめました。
この記事の中で一つでも参考になるような情報があれば幸いです。
有田焼とは
「有田焼」とは佐賀県有田町を中心として焼かれる磁器のことです。
元々「有田焼」は同県の伊万里港から積み出されていたことがあり、そのことから江戸時代には「伊万里」や「伊万里焼」、あるいは「肥前焼」と呼ばれていました。(「肥前」とは旧国名の一つで西街道に属し、現在では壱岐や対馬を除く長崎県と佐賀県にあたります)
「有田焼」という名称が広く用いられるようになったのは明治時代になってからのことです。これは明治以降に輸送手段が船から鉄道などの陸上交通に移っていったためとされています。
なお有田を含む肥前磁器全般を含む名称では「伊万里焼」が使われており、その名称が海外でも「Imari」で通じるなど広く浸透しているといえるでしょう。
有田焼の特徴
焼き物は陶磁器とも呼ばれ、使われる原料によって「陶器」と「磁器」に大別されます。「有田焼」は陶石と呼ばれる石から磁器土を作って成形し、釉薬をかけて1300度の高温で17時間以上焼きあげてつくられる「磁器」です。
磁器は軽く硬質で耐久性に優れ、かつてはヨーロッパの貴族から「白い金」と称された美しい白色が特徴として挙げられるでしょう。滑らかな地肌は絵柄を施すのに向いていることもあり、藍色で染付されたものや色彩豊かな絵付けが多く見られ、格調高さを感じさせます。
なお有田焼は大きく3種類に分けられており、1つ目は「古伊万里様式」と呼ばれる江戸時代に作られたものです。染付した上に金襴手という赤や金色の絢爛豪華な装飾技法が使われるなど、華やかさが特徴とされています。
2つ目は有田で活躍した酒井田柿右衛門が考案した「柿右衛門様式」です。暖かみがある乳白色の地肌の余白を活かした絵画的な絵付けが特徴で、主に赤・黄・緑・青を使った色使いと繊細な線で日本独特の花や鳥などの景色を左右非対称で表現したものが多く見られます。
そして3つ目は鍋島藩直営の御用窯で諸大名への献上品として作られた「鍋島様式」です。青みがかった白い地肌に規則正しく描かれた裏文様や、櫛の歯のように等間隔で精密な文様が高台に施されているという特徴があります。献上品ということもあり採算度外視で作られたため、芸術品といえるものが多いです。
有田焼の歴史
16世紀末に豊臣秀吉が有田を含む肥前の領主だった鍋島直茂に朝鮮出兵を命じた際、朝鮮人陶工の李参平(日本名:金ケ江三兵衛)らを連れて帰りました。後に李参平は17世紀初頭に有田に移り住み、有田東部の泉山で白磁鉱を発見したとされています。
李参平はその近くの上白川に天狗谷窯を開いて日本で初めて白磁を焼いたとされていることから、「有田焼の祖」として有名です。ただしその後の学術調査により、天狗谷窯より早く西部の天神森窯や小溝窯などで磁器製造が始まっていたことが明らかになりました。
当時の有田では、その頃日本に輸入されていた中国・景徳鎮の磁器の作風に影響を受けた染付磁器(初期伊万里)を作っていたとされています。また1637年に鍋島藩は伊万里・有田地区の窯場を統合し、多くの陶工を廃業させ窯場を有田の13箇所に限定して有田皿山が形成しました。この頃までの有田焼を美術史や陶芸史では初期伊万里と表現しています。
海外に目を向けると、磁器生産の先進国だった中国では明から清への交替期である1656年に海禁令が出され、磁器の輸出を禁じました。こうした背景から日本製の磁器が注目され、1647年に中国商人によってカンボジアに伊万里磁器が輸出されたという経緯があります。
1650年には初めてオランダ東インド会社が伊万里焼を購入するなどして品質が認知され、1659年頃から大量に中東やヨーロッパへ輸出されました。その1684年の展海令などで景徳鎮窯の生産・輸出が再開されるにつれて激しく競争をすることになります。
それに江戸幕府が1715年に海舶互市新例を制定し貿易の総量規制を行い、重量・体積の大きい陶磁器は交易品として魅力を失っていきました。1757年にオランダ東インド会社に対する輸出は停止され、以降は日本国内向けの量産品が中心になっていきます。
海外での有田焼
「有田焼」は日本国内に限らず、ヨーロッパをはじめ多くの国で愛用されています。透明感のある磁器の白色と施された絵付けは優美な雰囲気があり、海外でも評価されてきました。また滑らかでシャープなフォルムは磁器ならではのものです。
昨今では磁器の成形技術を活かした透かし彫りなど洗練されたデザインのものも人気があります。その美しさから「有田焼」は世界各地の博物館や宮殿にも飾られ、高貴な身分の人々が愛でるための芸術品として好評でしたが、実は日常の食器としての使いやすさも人気の理由の1つです。
「有田焼」は軽くて薄く、丈夫なことに加えて水分や汚れを吸収しにくいので、海外でも多くの人に愛用されたのかもしれません。焼き物には不慣れな人でも気軽に使用できるところも大きな魅力です。
現代の有田焼
「有田焼」の伝統技術は存続の危機を迎えている一方で、技術を着実に継承しつつ現代のライフスタイルに合うような焼き物も作られています。伝統技術に固執せず、時代に合わせたデザインや使いやすさも取り入れていったことが、「有田焼」が今日でも人気がある理由なのかもしれません。
日本初の磁器として400年を超える歴史を持つ「有田焼」ですが、昨今扱われているのは皇室に献上するような高価なものから日常に取り入れやすい価格のものまで様々です。今風にアレンジされた作品がそこまで高くない値段で売られていることもあるので、気になる人は調べてみると良いかもしれません。
有田焼を買える場所
「有田焼」を買える場所としてよく挙げられるのは陶器市です。全国各地で催されている陶器市では、多くの作品を目にすることができます。
「有田焼」のイベントで有名なのは「有田陶器市」で、これは有田町で春と秋に開催され、毎年120万人の人々が訪れている一大行事です。直接足を運んで様々な作品に触れ合いたいという人は、一度訪れてみると良いかもしれません。
また骨董品の専門店などでも取り扱っていますが、展示したり保管したりするスペースが限られているため扱っている数は陶器市よりは少なくなります。
それ以外には「有田焼」を扱っている専門のECサイトから購入することが可能です。具体的には以下のようなサイトが挙げられます。
https://www.jtopia.co.jp/(クリックするとリンク先が表示されます)
用途や予算に合致した作品を手軽に検索できるので、ギフト用などにも最適だといえるでしょう。
まとめ この記事のおさらい
- 「有田焼」とは佐賀県有田町を中心として焼かれる磁器のこと
- 「有田焼」は磁器は軽く硬質で耐久性に優れ、かつてはヨーロッパの貴族から「白い金」と称された美しい白色が特徴として挙げられる
- 李参平は天狗谷窯を開いて日本で初めて白磁を焼いたとされていることから、「有田焼の祖」として有名
- 「有田焼」は日本国内に限らず、ヨーロッパをはじめ多くの国で愛用されている
- 「有田焼」は伝統技術を着実に継承しつつ、現代のライフスタイルに合うような焼き物も作られている
- 「有田焼」は陶器市や専門店、専門のECサイトなどから購入できる