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この記事では「主観的」について解説いたします。「主観的」は「客観的」という言葉の対義語ですが、近年ではビジネスシーンを中心に「主体的」という表現も多用されるようになり、「主観的」「主体的」それぞれの使い分けに混乱が生じています。
そこでこの記事では「主観的」と「主体的」の違いをはじめ、「主観的」の意味と使い方、類義語や対義語、英語表現などを徹底解説。ぜひ最後までお読みいただき、プレゼンやスピーチなどで言葉を選ぶ際の参考にしてください。
「主観的」の意味と使い方
「主観的(しゅかんてき)」という言葉にはおもに2つの意味があります。ひとつは「人や事物に対するイメージや判断の根拠を、特定の人の心理や見識にゆだねること」。もうひとつは「自分ひとりの考えや感覚にもとづいて判断すること」です。
「主観」は哲学に由来する学術用語で「事物を認識し判断して行動する人間の意識」という難解な意味があります。一般には「自分ひとりの偏った意見」の意味で用いられることが多く、それに「的」をつけて形容動詞化したのが「主観的」という言葉です。
一般的な意味では「君の分析は主観的すぎる」というようにネガティブなニュアンスで使われることが多く、好ましい意味で使われることは多くありません。
一方、哲学用語としての「主観的」は「ものごとに対するイメージや判断が、個々の人や少数のコミュニティでしか通用しない心理的な傾向や性質に依存していること」をあらわします。哲学用語ではネガティブなニュアンスはありません。
「主観的」と「主体的」の違い
近年、ビジネスシーンを中心に「主体的」という言葉がよく使われます。「主観」と「主体」はともに英語の「subject」の訳語。「subject」は哲学では「自我」「主観」「主体」の意味をあらわしますが、日本語のように「主観」と「主体」を区別しません。
哲学の「主観(主体)」は「感性や直観などの感覚によって意識し認識し行為する自我のこと」をいいます。反対に「客観(客体)」は主観の認識や行為の対象となる「もの」をあらわします。
日本では、「主観」は自我の認識の意味で用いられるため、カント以後の実践的な能動性、つまり「目に見える行為」としての実践的な主観を意味する「subject」と区別するために「主体」という訳語が当てられました。
「subject」の訳語が「主観」と「主体」に分けられたのは、英語をはじめ欧州語との文法構造の違いに加えて、近代哲学の進化の過程で多様化した「subject」の解釈が時間差を伴って日本に伝わったことに起因するものと考えられます。
このように哲学用語の「subject」は日本語では認識中心の「主観」と実践的な「主体」という別の訳語が当てられました。その言葉が一般に流布して「主観」は「自分だけの判断や考え」。「主体」は「自分の判断にもとづく行動」という意味に変遷しました。
その後、「主観的」と「主体的」それぞれに善悪のニュアンスが加わり、「主観的」は「独善的」に近いネガティブなニュアンスを伴い、「主体的」は他人の意見や言動に流されずに行動するという肯定的なニュアンスを伴うようになりました。
つまり「主観的」と「主体的」は同じ「subject」から派生した同義語でありながら対義語に近いニュアンスもある、ということになります。
「主観的」のビジネス上での使い方
先に述べたように「主観的」は「ものの見方や判断が自分だけの見識にもとづくこと」を意味する言葉ですが、ビジネス上では「職務上の判断に独りよがりな偏りや決めつけが見られる」という否定的なニュアンスで使われます。
たとえばプレゼンの席で上司から「それは君の主観的な判断ではないのかね」と言われたら否定のサインだと思ってよいでしょう。もちろん現実には主観のない判断はできませんが、結果が悪いと責任を問われるのがビジネスの世界です。
特に日本社会はビジネスの失敗に寛容ではないため、若いビジネスマンは自分の意思を押し殺して上司に従うという無難な方法しか選ばなくなります。
逆に言えば日本で「主体的な行動」が賞賛されるのも、日本の悪しき社会慣習に対する反動ともいえますが、それも結果を伴ってこその評価であり、結果が悪ければ「主体的な行動」もほめられません。
その意味では「主観的」と「主体的」の使い分けには、組織内での「主観的」行動に不寛容な日本社会のひずみがあらわれているともいえます。「主体的な行動」が褒められるのも成功すればこそ。むやみに自分の主観を押し通すだけでは逆効果です。
「主観的」の類義語と例文
「主観的」は哲学用語ですが、一般的には「独りよがりな偏りや決めつけ」というネガティブなニュアンスを含む言葉です。それと同じの意味の類義語には「観念的」「恣意的」「独善的」「独断的」などをあげることができます。
「観念的」は具体的なデータや事実を無視して自分の頭の中だけで組み立てた非現実的な判断や考えを意味します。
「恣意的(しいてき)」は、判断や行動が気ままで計画性がないこと。「恣意」は「思うまま。気まま」という意味をあらわします。
「独善的(どくぜんてき)」は他人の意見に耳を貸さず、自分の考えや判断だけが正しいと決め込んでいることをあらわす言葉です。
「独断的(どくだんてき)」は浅はかでひとりよがりな考えを正しいと主張すること。またカント哲学では、現実的な経験によってのみ妥当と判断できる原理を形而上学な対象にも適用しようとすることを意味します。
「独善的」を用いた例文
「主観的」の対義語と例文
主観的の対義語としては「客観的」があげられます。
「客観的」も由来は哲学の学術用語で、「主観や主体を離れて独立に存在すること」。一般には、自分の立場や意識にとらわれず物事を第三者的立場で考えること。証明可能な事実や数値を元に判断することなどを意味します。
「客観的」を用いた例文
「主観的」の英語表現
「主観的」の英語表現は前述したように「subjective」になります。
たとえば「主観的に考える 」という場合は、副詞の「subjectively」を使って「think subjectively」というか「think in a subjective way」というのが一般的です。
また「subjective」は日本語で「主体的」とも訳せます。「subjectively」や「in a subjective way」も含めて日本語に翻訳するときは内容に応じて「主観的」と「主体的」を使い分けるように心がけましょう。