儒教とは|日本・中国・韓国における立ち位置の違い・教え・思想を解説

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ここでは儒教について解説いたします。

儒教は古代中国の思想家、孔子の道徳思想をまとめた宗教的な教えのことをいいます。

日本では、孔子は「子曰く」の「論語」でおなじみですが、論語は孔子の生前の教えを弟子たちが本にしたもので、孔子自身の著作物ではありません。

この記事では、本場中国のみならず日本人の心にも深く根ざした儒教の教えについて解説してゆきます。どうぞ最後までお読みください。

儒教とは

儒教は紀元前5世紀ごろに中国で活躍した思想家、孔子を始祖とする教えです。日本では論語の影響もあって、儒教は中国の古典的な思想体系とされていますが、本場中国では、儒教は仏教や道教とならぶ主要な宗教として「三教」のひとつに数えられています。

儒教の読み方と意味

儒教は「じゅきょう」と読みます。

儒教の「儒」には「原始的な宗教によって雨乞いなどの祈祷を行う巫女」という意味があります。一説には、孔子の母も身分の低い「儒」だったと言われています。

孔子は「儒」が伝えたシャーマニズム的な古代信仰をベースに、堯(ぎょう)や舜(しゅん)など歴史的な名君の政治思想を取り入れて、宗教性と倫理哲学をあわせ持つ理想の教理を作りあげました。その教えを儒教といいます。

儒教は西暦513年ごろ日本にもたらされ、大陸伝来の先進的な学問思想として国家統治に大きな影響をもたらしました。

儒教の教え

孔子が生きた紀元前5世紀ごろの中国は、群雄割拠の春秋・戦国時代でした。諸国や家臣の血なまぐさい争いが絶えない中で、「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ばれる多くの学者や学派が登場しました。

「諸子百家」の多くは富国強兵を論じる戦術家でしたが、孔子は軍事研究に批判的な立場で、国を治める者は過去の名君に習って、「仁」と「礼」を重んじた徳の高い政治を行うべきだと提唱しました。

「仁」と「礼」の概念

前述のように儒教は「仁」と「礼」を基本理念にしています。

「仁」は「人を愛することや、他者への思いやりの精神」を意味します。人間は集団で社会を形成しなければ生活できない生き物です。そこで個々の人間が「仁」を心に持つことで社会に秩序が生まれ、平穏が保たれると孔子は唱えています。

儒教では「仁」の精神を実行する具体的な方法や規則を「礼」と呼びます。「仁」の心を「礼」として実践することで人間社会の安寧秩序が保たれ、国家も安定すると孔子は唱えています。

儒教の倫理観はビジネスでも注目されている

近年、「儒教」の教理や倫理観がビジネスの世界でも注目されています。

現代経営学の基礎を築いたピーター・ドラッカーも経営学者として儒教の道徳精神を高く評価しており、1981年にForbes誌のインタビューで「儒教が重んじる規範と義務はすべての人々に当てはまる普遍的な倫理です」という趣旨の発言をしています。

日本では古くから儒教の道徳精神が国民に広く浸透し、政財界でも倫理の規範とされてきました。西側諸国でも2007年以降の金融危機で自由主義の経営倫理が失墜したことや中国経済の発展と相まって、儒教などの東洋思想が注目されるようになりました。

儒教を広めた3人の思想家

孔子の死後、儒教は「孔門十哲」と呼ばれた10人の高弟をはじめ、総計3000人もの門弟たちによって世界に広められていきました。その中でも後世に活躍した孟子、荀子、朱子の三人は、儒学者として儒教の発展と普及に大きく貢献したとされています。

孟子

戦国時代の思想家、孟子は孔子の孫にあたる子思の弟子に学びました。孟子は孔子の教えの継承と発展につとめた人で、儒教では「亜聖」と呼ばれ、孔子に次ぐ重要人物とされました。

孟子は、人は生まれながらに善悪を正しく判断する良い知恵と能力(良知良能)を備えている、という性善説を唱えました。

性善説では、人間の生まれつきの本質は「善」であり、修行によって「仁・義・礼・智」という4種の徳を体得した聖人君子になることができます。逆に修行を怠ると良知良能が失われて悪い誘惑に負け、不善に落ちるとされています。

荀子

荀子は戦国末期の思想家で、孟子よりも60歳ほど年下になります。

荀子は孟子の性善説をきびしく批判して「性悪説」を唱えました。性悪説では、人間は生まれつき過ちを犯しやすく、修行を続けることでその性質を改善しつづけなければならないと主張しています。

荀子の思想は、孟子とは真逆のようですが、性悪説も性善説も、儒学の修養を続けることで道徳的な聖人になれる、という意味では共通しています。

朱子

朱子(しゅし)は12世紀の中国で活躍した思想家です。

朱子は儒教の規範とされる「四書五経」に独自の解釈を加えて、「朱子学」という新しい学問体系を再構築しました。

儒学は孟子や荀子の時代から1500年が経過するうちに、雑多な学派の乱立でまとまりを失うようになりました。朱子は儒教の歴史をさかのぼって規範を整理し、朱子学という新しい学派を創始しました。

儒教に対する日・中・韓の立ち位置の違い

儒教は日本と中国だけでなく韓国にも深く浸透しています。儒教に対する各国の立ち位置にはどんな違いがあるのでしょうか。

中国と儒教

儒教は中国固有の宗教ですが、第二次大戦後に毛沢東から反体制思想の烙印を押され、文化大革命で徹底的に排斥されました。しかし毛沢東の死後は中国発祥の伝統文化として再評価され、儒教教育も復活しています。

韓国と儒教

中国発祥の儒教は、地続きの朝鮮半島にも伝わりました。李氏朝鮮時代は儒教が国教となり、仏教が弾圧されました。現代も韓国では儒教の精神が行動の規範となり、「東邦礼儀の国(東にある礼儀正しい国)」の誇りを支えています。

日本と儒教

日本では、儒教は仏教よりも早い時期に渡来しましたが、大陸の先進的な学問として扱われ、宗教として浸透することはありませんでした。

儒教・仏教・道教の違い

中国では、儒教は仏教や道教とならぶ宗教として「三教」のひとつに数えられています。三教にはそれぞれどのような違いがあるのでしょうか。

仏教と儒教

仏教は 紀元前5世紀ごろに北部インドに生まれたガウタマ・シッダールタを始祖とする宗教です。仏教は個々の信者が「仏陀(ぶっだ)」の教えをもとに修行して悟りをひらき涅槃(ねはん)の境地に達するための宗教であり、儒教のように社会や国家のあり方までは諭していません。

道教と儒教

道教は始祖は、哲学家の老子と荘子とされていますが、宗教としての母体は、古代中国の伝統的な呪術にあります。それに仏教思想や老子と荘子の道家思想などを取り込み成立した多神教的な宗教が道教といえます。

老子が説いた「無為自然」という思想は、道教の基本理念にもなっています。「無為自然」は「ありのまま」を最善とし、作為的な行いを否定しています。この考えは、理想を求めて修行せよと説く儒教の思想とは水と油のように相容れない関係にあります。

儒教の英語表現

儒教は英語で「Confucianism」といいます。

語源は孔子の尊称「孔夫子」の中国語の発音をラテン語にした「Confucius」とされています。儒教は「Confuciusの教え」という意味で「Confucianism」と呼ばれています。

まとめ

  • 儒教は孔子の道徳思想にもとづく宗教的な教えです。
  • 儒教は「仁」と「礼」を基本理念にしています。
  • 儒教は孔子の死後、孟子と荀子、朱子の三人によって広められました。
  • 儒教は英語で「Confucianism」といいます。