キルケゴールとは|生い立ちと生涯・著書と名言・実存哲学について解説

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現代の哲学の大きな基盤として「実存哲学」があります。この哲学ではニーチェが日本では有名ですが、一般にその創始者とされるのはキルケゴールです。キルケゴールの哲学には、彼の個人的な苦悩の体験が大きく影響しています。

この記事では、キルケゴールの実存哲学の内容や、それがどのようにして生まれたのかを説明します。キルケゴールの著書や名言についても触れていきます。

キルケゴールとは

キルケゴールとは、デンマーク出身の哲学者、思想家です。実存主義の創始者、として評価されています。

キルケゴールの生い立ちと生涯

キルケゴール(セーレン・オービエ・キェルケゴール/Søren Aabye Kierkegaard)は1813年、デンマークの首都、コペンハーゲンの裕福な商人の家庭に、七人兄弟の末っ子として生まれました。幼い頃から感受性が鋭く、孤独がちであったとされます。

敬虔なクリスチャンであった父ミカエルが牧師になることを望んだこともあり、コペンハーゲン大学で神学を学びました。しかし、父ミカエルの罪の告白やその後の個人的な苦悩から「実存」にめざめ、その思想を展開するのがキルケゴールの生涯となりました。

キルケゴールの実存哲学の内容はそれに関する著作は、当時のデンマーク教会やヘーゲル哲学という権威を批判するものでした。教会と激しい論争を繰り広げ、新聞には中傷され心身を消耗しました。1855年、路上で意識を失って倒れ、死去したとされます。

キルケゴールの人生は苦悩に満ちたものであったといえますが、今日では実存哲学の先駆者といわれ、現代の哲学に至るまで多大な影響を与えた人物です。

父ミカエルの罪

父ミカエルは貧しい農民の生まれでした。ミカエルは敬虔なクリスチャンでしたが、幼いころ、羊の番をしていたときにあまりの寒さと空腹に耐えかねて、そのような運命を与えた神を呪ってしまいました。

その後、ミカエルは商売で成功を収めましたが、ミカエルはクリスチャン故この成功は神を呪った代償であると信じ込みました。

また、ミカエルはキルケゴールの母であるアーネと結婚する前に別の女性と結婚していましたが、その女性は子供ができないうちに肺炎で死んでしまいました。その直後に、ミカエルは家政婦であったアーネを犯してしまい、結婚する前に妊娠させてしまいました。

ミカエルはこれらがキリスト教における罪と考えました。この罪を父から告白されたをキルケゴールは、大きな精神的打撃を受け、この体験をその後「大地震」と呼ぶこととなります。この苦悩の体験はキルケゴールが実存に目覚めるきっかけとなったとされています。

キルケゴールの「実存哲学」とは

キルケゴールの実存哲学は、一般的な「人」ではない「この私」に焦点をあてた哲学といえます。実存とは「いま、ここに、現実的に存在する私」を意味します。
この実存という哲学的概念の発見は、まさにキルケゴールという具体的で個人的な苦悩の体験によって得られたものなのです。

父ミカエルの罪の告白を受けた「大地震」のあと、キルケゴールは酒場に入り浸り、放蕩生活を送っていました。ある時、清純な少女レギーネと出会い27歳のときに婚約しました。しかし、自分の罪深さへの反省やレギーネへの愛が真実のものであり得るかという苦悩から、一方的に婚約を破棄してしまいます。

婚約を破棄した詳しい理由がわかれば、彼の思想の核心を知ることができるとキルケゴール自身も語っており、学問的研究がなされています。いずれにせよ、この婚約の破棄はキルケゴールにとって大きな苦悩となりましたが、同時に彼をさらなる哲学的な思索や著作活動へと駆り立てることとなりました。

実存は、客観的・抽象的思考のアンチテーゼです。当時のヨーロッパでは科学が発展し、哲学もヘーゲル哲学をはじめ、客観的・抽象的な思考が支配的でした。こういった社会では、人々は規格化され、個性を失い、人々の疎外感は増していきました。

キルケゴールは彼の苦悩の体験を踏まえたうえで、客観的・抽象的な思考法ではそういった人々が抱く個別具体的な孤独や不安、苦悩といったものは捉えることができないと説きました。キルケゴールによれば、自己とは、科学的な法則ではなく、自己自身と主体的にかかわる精神=実存を通して形成され、把握されるものであるとされます。

また、キルケゴールの実存は有神論的実存主義とされます。有神論的実存主義では、神を肯定した上で、その絶対的な存在に主体的に関わり合う精神としての実存を説いています。これを宗教的実存ともいいます。

彼と同じ時代の有名な実存主義の哲学者にニーチェがいます。こちらはキリスト教をルサンチマンから生まれた弱者の論理であるとして神への信仰を否定し、あくまで人間の立場で実存の確立を目指す、無神論的実存主義です。ここに両者の大きな違いがあります。

日本ではキルケゴールよりもニーチェのほうが有名ですが、キリスト教の神の概念に馴染みがないため、ニーチェの思想の方が受け入れやすいということがあるのでしょう。

キルケゴールの著書

『あれか、これか(1843年刊)』
人生における「あれか、これか」という選択に自らの人格を駆けて行うことで、自己のあり方を主体的に形成していく実存を説いています。キルケゴールがデンマークの思想界に加わる契機となった著作となりました。

『おそれとおののき(1843年刊)』
旧約聖書の物語を題材に、人は理性を超えて神を信じることができるかを問うた著作です。自分の子供の命を捧げよと神に命令される、という人間世界の道徳的価値と宗教的価値のパラドックスを用いて、このテーマを論じました。

『死に至る病(1849年刊)』
ヘーゲルの理性主義を批判した著書として、最も著名なキルケゴールの著作です。当初偽名をつかって出版されました。
死に至る病とは精神の病としての「絶望」の概念をいいます。絶望は自己をこの世に存在させた根拠である神との関係を失い、自己を見失った状態であるとされます。

キルケゴールの名言

『私にとって真理であるような真理を発見し、しかも私がそのために死ねるような真理を発見することが必要なのだ』

当時22歳のキルケゴールが実存に目覚めたとされる、彼の日記の言葉として有名です。
人生に対し人間的で主体的な関わりを欠いていたと自覚し、主体性を取り戻すために人は他のものよりもまず自己を知ることが大事であると説きました。

『自己とは、自己自身に関わる一つの関係である』

「死に至る病」の冒頭で、実存を自己自身へ関わる精神であると定義した言葉です。自己自身への主体的な精神の関わりを通して、自己が形成されていくと説きます。

キルケゴールについてのまとめ

  • キルケゴールは実存哲学の創始者といわれ、現代に大きな影響を与えています。
  • キルケゴールは19世紀のデンマークに生まれました。
  • 父ミカエルの罪の告白がキルケゴールの人生に大きな影響を与えました。
  • 実存の概念はキルケゴール自身の苦悩の体験から生まれました。
  • 実存哲学は当時のヨーロッパの権威に対する挑戦でした。
  • 最も有名な著作には『死に至る病』があります。