※本サイトはプロモーションを含んでいます。
「木を見て森を見ず」はビジネスシーンでも使われることのある慣用句です。「木を見て森を見ず」のビジネスシーンでの使われ方を中心に、類語や英語表現も交えて解説します。
一般的な「木を見て森を見ず」の意味
「木を見て森を見ず」とは、一本の木しか意識して見ていないために、森全体がどのような状況になっているかがわからない状況から、物事の細かい部分や目先のことだけに気を取られて、全体を見失うという意味をあらわす言葉です。
例えば、特売をしていたからと食べ物をたくさん買ったのはよいけれど、結局食べきれずに捨ててしまうようなことが当てはまります。
ビジネスにおける「木を見て森を見ず」の例
ビジネスで「木を見て森を見ず」というと、自分の目の前の仕事や目先の利益にとらわれて、本来会社が進むべき方向や目的を見失っている様子をあらわします。どんなときに使われるのかの例は以下の通りです。
目先の売上にとらわれる営業担当
ひとつの商品を売るにも、商品企画、仕入れ、原価管理、広告宣伝、営業活動、アフターサービスなど多くの人や物が関わります。
例えば営業担当が自分の売上目標を達成したいからと値引販売をし、結果としてコストが見合わず赤字になるようなことがあれば、この営業担当は木を見て森を見ていません。
自分の作品としてこだわった広告
広告の目的は商品を消費者に告知して売り上げを上げることであるにもかかわらず、面白い広告を作ることにこだわり過ぎてアート作品のようになって商品が伝わらないことも、「木を見て森を見ず」の状態です。
広告として評価されても売上につながらなかったとしたら、広告は成功したとはいえません。
他店に勝つことにこだわる店
自社の短期的な売り上げだけに気を奪われて将来的な観点で考えることができなくなっていることも、木を見て森を見ていない状態です。
例として、競合他社に客数で勝つことにこだわり、極端な値引販売をした結果、競合もしかたなく値引きを迫られ、値引き合戦の末に業界全体が衰退してしまうことなどがあげられます。
木を見て森を見ないと、自分の周りの仕事はうまくいっているのに、最終的によい結果に結びつかないことが多くなります。上司に「木を見て森を見ていない。」といわれたら、視野が狭くなっていないか、仕事の目的をきちんと理解して動いているかを再考してみるとよいでしょう。
また、ビジネスでは「マクロの視点」「ミクロの視点」といういい方をすることがあります。「木を見て森を見ず」に当てはめると、「マクロ=森」「ミクロ=木」となり、物事を大きくとらえるか、自分の周りの小さいことに目を向けるかをあらわすときに使います。
「木を見て森を見ず」の英語表現
英語では以下の表現であらわされます。
木を見て森を見ることはできない。
フランス語では下記の表現があります。
木が森を隠す。
また、ドイツやイギリスなどでも同様の意味を持つ表現があります。
「木を見て森を見ず」の類語・反語
「木を見て森を見ず」には似たように意味をあらわす表現があります。また、反対の意味を持ついい回しもあります。木と森のどちらかだけを見るのではなく、両方を意識することが大切でしょう。
「木を見て森を見ず」の類語
「木を見て森を見ず」と似たような意味を持つ表現には、以下のものがあります。
「木を見て森を見ず」と同様に、一本一本の木を数えることに気を取られて林のことに気が回らないことを意味しています。
一匹の獲物に気を取られて山全体のことが目に入らなくなることから、目先の利益に夢中になっているとそれ以外のことが目に入らず余裕がなくなる様子。わずかな利益を得ようとして大きな利益を逃すことです。
昔、中国で金を売る店から金をつかみ取って逃げた男が、役人に捕らえられ、尋問されると「金を取るときには人が見えず、金しか見えなかった」と答えたという故事から、一つのことに夢中になるとほかのことが目に入らなくなることです。
「木を見て森を見ず」の反語
「木を見て森を見ず」とは反対の意味をもつ表現もあります。
鹿を狙っている人は小さな獲物の兎には目もくれないということから、大きな利益を狙う人は小さな利益には目もくれないということを意味しています
「木を見て森を見ず」のまとめ
- 「木を見て森を見ず」とは、物事の細かい部分や目先のことだけに気を取られて、全体を見失うことの例えです。
- ビジネスでは、自分の目の前の仕事や目先の利益にとらわれて、本来会社が進むべき方向や目的を見失っている様子をあらわすことが多いです。
- 「木を見て森を見ず」はヨーロッパのことわざが由来だといわれています。
- 「木を見て森を見ず」の類語には「木を数えて林を忘れる」「鹿を追う者は山を見ず」などがあります。
- 「木を見て森を見ず」の反語には「鹿を逐う者は兎を顧みず」があります。