畏敬の念とは|読み方・意味・使い方・「畏怖の念」との違い・英語表現などを解説

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ここでは「畏敬の念」という言葉について解説いたします。

「畏敬の念」というと「そんな古い言葉をいまさら」と思われるかもしれません。しかし実は現在の小学校学習指導要領にも「『生命に対する畏敬の念』を育む」と明記されているように、「畏敬の念」は日本人の精神文化を象徴する感情でもあります。

そこで、ここでは「畏敬の念」の意味や語源をはじめ、類義語・対義語や英語表現などを含めて多角的に解説いたします。ぜひ最後までお読みください。

「畏敬の念」の読み方と意味

閾値
「畏敬の念」は「いけいのねん」と読みます。意味は「崇高な存在や権力者などをおそれうやまう気持ち」のこと。この「崇高な存在」とは人や神仏のみならず、大自然や巨大構造物などの壮大で荘厳な対象も含まれます。

また、この場合の「おそれ」は単純な「恐怖心」ではなく、相手の偉大さや崇高さ、荘厳さに圧倒される気持ちをいいます。

「畏敬の念」の語源

「畏敬」の「畏」は「異様な形相の人が鞭を持つ姿」をあらわす象形文字で「おそろしいもの」を意味します。古代中国では「畏」は恐怖のみを意味しましたが、日本に伝来すると「敬服しおそれかしこまる」という独自のニュアンスが加わりました。

一方、「敬」は「髪を結い上げて体を屈し神に祈る姿」と「神技で音を出す右手の形」を合わせた象形文字で、「神をうやまう」「尊敬する」という意味の漢字になったといわれています。最後の「念」は「思い」「気持ち」を意味する漢字です。

「畏敬の念」は「畏」「敬」「念」の3文字の組み合わせることで、偉大で圧倒的な存在を前に感服して思わず膝を屈してしまう気持ち、非常に強い敬意と自ら進んで服従したくなるような気持ちをあらわす言葉になったと考えられます。

「畏敬の念」と「畏怖の念」の違い

「畏敬の念」とよく似た言葉に「畏怖の念」があります。「畏怖」の意味も「畏敬」と同様に「おそれおののくこと」ですが、「怖」と「敬」の違いからもわかるように、「畏怖」には敬意よりも恐怖にかられて「おびえかしづく」というニュアンスがあります。

つまり相手が同じ「神」や「大自然」だとしても、「畏敬」は相手の偉大さ、素晴らしさに圧倒される気持ちをあらわすのに対し、「畏怖」は神が下す天罰や大自然の猛威に対して恐れおののく気持ちをあらわすという違いがあります。

「畏敬の念」と「畏怖の念」の意味の違いを例文で表現すると、それぞれ以下のようになります。

「畏敬の念」の例文

一代で財をなした偉大な実業家に人々はみな畏敬の念を抱いた。

「畏怖の念」の例文

日本一厳しい指導で弱小チームを全国優勝に導いた監督のことを、選手達は畏怖の念を込めて「鬼監督デーモン」と呼んでいた。

「畏敬の念」の使い方

天台宗
「畏敬の念」の言葉を使用する際は、以下に紹介する定型のフレーズがよく用いられます。

「畏敬の念を抱く」

「畏敬の念を抱く」とは、大自然や神などの崇高な存在や強大な権力者に対して、おそれうやまう気持ちを抱く、という意味でよく用いられるフレーズです。「畏敬の念」を使用する際に最も多い表現といえます。

「畏敬の念に打たれる」

「畏敬の念に打たれる」とは、「崇高な存在や権力者などをおそれうやまう気持ちが胸の中にわき起こる」という意味をあらわす表現です。「何かで打たれたような衝撃を受ける」「圧倒される」といったニュアンスを持つフレーズといえます。

「畏敬の念に堪えない」

「畏敬の念に堪えない」とは、「崇高な存在や偉人を前にして、おそれうやまう気持ちを抑えることができない」という意味です。言い方を変えれば「冷静ではいられないほど畏敬の念が高ぶっている」という気持ちをあらわす表現です。

「畏敬の念」の類義語と例文

空前絶後
「畏敬の念」と同じような意味の類義語としては、「崇敬の念(すうけいのねん)」と「敬愛の念(けいあいのねん)」をあげることができます。

「崇敬の念」は「偉大な存在をあがめうやまう気持ち」をあらわす言葉です。ただし「畏敬の念」のように「おそれる気持ち」を含むニュアンスはありません。神仏を深く信仰するようにひたすら敬い尊びありがたく思う、というニュアンスを持つ言葉です。

一方「敬愛の念」は、「尊敬と同時に親しみを感じる気持ち」をあらわす言葉です。「崇敬」よりもフレンドリーで、こちらも「畏敬の念」のような「おそれ」の意味はありません。尊敬すると同時に思わず抱きしめたくなるような気持ちをいいます。

「崇敬の念」の例文

「非暴力・不服従」でインドを独立に導いたマハトマ・ガンジーは、インド人ならずとも崇敬の念を抱かずにはいられない偉人だ。

「敬愛の念」の例文

住職の謙虚で誠実なお人柄に信者は深い敬愛の念を抱いている。

「畏敬の念」の対義語と例文

やる気が出ない
「畏敬の念」と逆の意味を持つ対義語としては、「軽蔑」や「軽視」をあげることができます。

「軽蔑」は、相手を自分より劣るものと決めつけて馬鹿にしたり、さげすんだりすることを意味する言葉です。

「軽視」は「事態や状況を軽く見て油断すること」「相手を軽んじて馬鹿にすること」などを意味する言葉です。「軽視」は相手が人間の場合だけでなく、事態や状況に対する認識が甘い、という意味でも用いられます。

軽蔑の例文

いくら酒の席でのこととは言え、昨夜のあなたの振る舞いは軽蔑に値すると私は思います。

軽視の例文

地道な努力を軽視する者が成功した例を私は知らない。

「畏敬の念」の英語表現

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「畏敬の念」の英語表現としては、「畏敬する」「畏敬の念を抱く」を意味する動詞の「awe」を用いるのが一般的です。フレーズとしては「with awe」「be awe」「feel awe」などのフレーズがメインになります。

名詞では「a sense of awe」といえば「畏敬の念」と同じ意味を表現できます。「sense」を「feeling」に換えて「a feeling of awe」ということもできます。

ほかには極めて強い尊敬の念の表現として、「reverence」「hold ~ in (highまたはgreat) esteem」「have a great regard fo~r」などのフレーズもあります。

一般的な「尊敬」の意味では「respect」「look up to ~」などがよく使われます。

「awe」の例文

I was struck with awe by the majesty of Mount Fuji.

私は富士山の雄大さに畏敬(畏怖)の念に打たれた。

「reverence」「awe」「respect」を含む例文

The famous religious scholar said that reverence was a well-developed capacity to have certain feelings of awe, respect, and shame.

ある著名な宗教学者は、「崇敬」とは畏敬や敬意・恥辱といった明確な感情の源となる成熟した能力のことだと語った。

まとめ

  • 「畏敬の念」は崇高な存在や権力者などをおそれうやまう気持ちをあらわす言葉です。
  • 「畏怖の念」は強大な存在に対しておそれおののくことを意味する言葉です。
  • 「畏敬の念」の類義語には「崇敬の念」「敬愛の念」があります。
  • 「畏敬の念」の対義語には「軽蔑」や「軽視」があります。
  • 「畏敬の念」の英語表現としては「awe」「reverence」「respect」などを用いるのが一般的です。