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「ルソー」といえば学校の世界史で必ず出てきますので、誰もが一度は必ず聞いたことある名前だと思います。しかしどんな功績を残した人なのかは覚えていない人も多いのではないでしょうか。
この記事では「ルソー」の生い立ちや人物像から思想、代表的な著書や名言を紹介します。ルソーの思想はフランス国内にとどまらず、日本にも影響を及ぼしています。この機会にルソーの功績や影響についてあらためて振り返ってみましょう。
ルソーの生涯と人物像
ルソー(ジョン=ジャック=ルソー・Jean-Jacques Rousseau)は、今から約250年ほど前のフランスの啓蒙思想家で、1712年にスイスで生まれ、1778年にこの世を去っています。
啓蒙思想とは18世紀フランスを中心としてヨーロッパ全域に広がった革新的思想で、合理主義に基づいて、伝統と偏見を打破しようとしたものです。
ルソーはフランスの思想家として知られていますが、生まれはスイスのジュネーブです。スイスの時計職人の子として生まれたルソーは、出生からわずか数日で母を亡くします。
その後ルソーは父と父方の叔母シュザンヌ・ルソーに育てられることとなりましたが、幼いころから読書にいそしんでいたといわれます。
10歳のころ、父が元軍人の貴族との争いがもとで、ジュネーブから出ていかなくてはならなくなりました。そしてルソーは母方の叔父である技師・ガブリエルによって従兄のアブラハム・ベルナールとともに牧師・ランベルシェのもとに預けられることとなります。ルソーにとってここでの生活は恵まれたものではなく、ランベルシェの妹に度々節間を受けるなど厳しい扱いをされていました。
1728年、16歳のとき市の閉門時間に遅れたことをきっかけに逃亡し、放浪生活を始めます。
ルソーは30歳のときにフランスのパリに渡っています。パリでのルソーは音楽を主な仕事として生計を立てていて、フランスの哲学者ディドロと知り合い「百科全書」の音楽の項目を執筆しています。
1750年にはディジョンのアカデミーの「学問・芸術の進歩は習俗を純化させたか」というテーマの懸賞論文に応募した「学問芸術論」が当選し注目を浴びました。
1755年には「人間不平等起源論」を刊行し、文明社会の不正と堕落を批判し、人間の自然な善良さへの回復を説きました。
その後、代表作となる「社会契約論」「エミール」など多くの著書を刊行し啓蒙活動を行っていきます。
しかし、ルソーはその思想から政府や教会などから迫害を受けることとなり、スイスやイギリスに逃れることとなります。晩年はパリに戻り66歳で死去しています。
ルソーの思想は後に起こるフランス革命に大いなる影響を及ぼしますが、フランス革命に先立つこと11年、ルソーはこの世を去っています。
思想家として知られるルソーは、意外なところでも日本に関わっています。誰もが知っている童謡「むすんでひらいて」はもともとはフランスで上映されたオペラの挿入曲で、ルソーが作曲しています。
ルソーの思想
ルソーは、イギリスの哲学者、ホッブズ・ロックと共に、社会契約説の論理を提唱した所要な人物の一人です。
ルソーは、「人間は、神によってつくられた自然のままの状態では善良であるが、文明社会が財産の私有を認めたために、富をめぐる争いと不平等が起こり、虚栄・羨望・恥辱などが生まれ、人間は堕落してしまった。自由で平等な自然状態を取り戻し、善良な人間性を回復するために、堕落した文明社会を捨て去り、社会契約によって理想的な共同体を作り直すべきだ」と説きました。
「自然に帰れ」は、ルソーの根本思想を表わす標語です。
ルソーの著作は広く読まれ、のちに起こるフランス革命に多大な影響を及ぼしました。また、自然のままの人間の善良な感情を重んじたルソーの思想は、ロマン主義の先駆けともいわれます。
ルソーの著書
『人間不平等起源論(1755年刊)』
ディジョンのアカデミー懸賞に応募消したが落選した論文。人間が堕落させた文明社会を痛烈に批判するものになっています。
『社会契約論(1762年刊)』
社会契約に基づく民主社会の成立を論じたルソーの代表作。1755年に発表した「人間不平等起源論」「政治経済論」を発展させたもので、「社会契約論」は、いかにして一般意志が貫徹する政治体を形成し、人間が自然状態においてもっていたと同じ自由と平等を確保するかという課題を追究したものといえます。
『エミール(1762年刊)』
ルソーの教育論。孤児エミールが理想的な教育のもとで成長していく過程を描いたもの。人間の自然な成長をゆがめる悪しき教育を批判、心意的な干渉をひかえる消極教育が説かれています。
ルソーから影響を受けた人物
ルソーから影響を受けた人物
『カント(1724年~1804年)』
カント(イマヌエル・カント/Immanuel Kant)はドイツの哲学者で、啓蒙主義の完成者です。批判哲学と人格主義の道徳を説きました。
カントの人間性を表わすエピソードとして、カントが日課としている散歩をする姿を見て時計の狂いを直していたという話があります。それくらいカントは規則正しい生活習慣で知られる人物でした。
そのカントが日課の散歩を忘れて、ルソーの「エミール」を読みふけり、ルソーから「人間を尊敬することを学んだ」と語ったということです。
『ナポレオン(1769年~1821年)』
フランスの軍人・政治家であったナポレオンは、幼少期にルソーの著書を愛読し、若年期における知的形成で、ルソーから大きなの影響を受けたといわれています。
ルソーから影響を受けた日本人
『中江兆民(なかえちょうみん・1847年~1901年)』
明治に活躍した啓蒙思想家の中江兆民は、ルソーの影響を強く受け、フランス流の急進的民権論を説いて「東洋のルソー」と呼ばれました。1882年には、ルソーの「社会契約論」を翻訳した「民約訳解」を刊行しています。
ルソーの名言
『自然に帰れ』
文明社会を捨て去り、社会契約によって理想的な共同体を作り直すべきだと説いた、ルソーの思想を表わす標語。文明社会の堕落を批判している。
『人間は自由なものとして生まれた。しかしいたるところで鉄鎖につながれている。自分こそが主人だと思っている人も、実は奴隷であることに変わりはない。』
ルソーの主著である「社会契約論」の一節。
『われわれはいわば二度生まれる。一度目は存在するために、二度目は生きるために。』
ルソーの著書「エミール」の中で、青年期における精神的な自己のめざめを例えた言葉。一度目の生物的な誕生ののちに、二度目は青年期に自我に目覚める精神的な誕生を迎えると説いています。
ルソーについてのまとめ
- ルソーはフランスの啓蒙思想家で、スイスに生まれ、30歳でフランスに渡りました。
- ルソーはホッブズ・ロックと共に、社会契約説の論理を提唱した所要な人物の一人です。
- ルソーの主な著書には「人間不平等起源論」「社会契約論」「エミール」などがあります。
- ルソーから受けたとされる人物としては、ドイツの哲学者であるカント、日本人では登用のルソーと呼ばれた中江長明があげられます。
- ルソーは「自然に帰れ」のほか、数々の名言を残しています。