※本サイトはプロモーションを含んでいます。
この記事では「知らぬが仏」の意味や使い方について解説いたします。
日常会話やビジネスシーンなど幅広い場面で見聞きされる言葉ではありますが、その意味や使い方についてはあまりよく理解していないという人もいることでしょう。
そこで今回は「知らぬが仏」の語源やビジネス上での使い方、類義語や対義語なども含めて取り上げました。
この記事を通して「知らぬが仏」への理解が深まれば幸いです。
「知らぬが仏」の読み方・意味・使い方
「知らぬが仏」は「しらぬがほとけ」と読み、「知ると不愉快になるものごとでも、知らなければ心を乱すことはない」という意味のことわざです。
もう少し端的に言い換えると、「知らなければ、仏のようでいられる」ということを意味しています。
また「知らぬが仏」は「事実や出来事を知らなければ立腹したり、憎しみを抱いたりしなくても済む」、あるいは「知らないが故に気が楽である」といった状況を指している言葉です。
さらに深く言及するならば、「知るまでは良いことか悪いことかは分からないが、もし悪いことなら知らないほうが平静でいられる」という気持ちが表現されているともいえるでしょう。
なお「知らぬが仏」は「知らぬが仏、知るが煩悩」というように、言葉の意味を補足する形で使われることもあります。
「知らぬが仏」で「知らなければ心を乱すこともない」ことを表し、「知るが煩悩」で「知ってしまえば悩みが増すだけ」と念を押している表現です。
また「知らぬが仏」を使った例文としては、次のようなものが挙げられます。
「根掘り葉掘り」は「ねほりはほり」と読み、「細かい点まで何もかも残らず」という意味です。
この例では、他人のことを細部まで残らず聞き出すと、その人との付き合いに響くような情報まで出てくる可能性があるので考えものだということでしょう。
他人の噂話や陰口なども、自分が無関心を決め込んでしまえばそれ程気にならなくなるものです。
今回の例だと、「知らぬが仏」ということわざを知ったおかげで、他人の噂話や陰口などで心が見出されることがなくなったということを表しています。
「知らぬが仏」の語源
「知らぬが仏」の語源は「江戸いろはかるた」です。
「江戸いろはかるた」とは「江戸時代後期に江戸を中心に生まれたかるた」のことで、「犬も歩けば棒に当たる」から始まることで広く知られています。
「いろは歌」47文字と「京」を合わせた48文字を、句の頭において作った短歌のかるたで、その中の「し」で始まるのが「知らぬが仏」だというわけです。
なお後世では正岡子規の「かけはしの記」や菊池寛の「私の日常道徳」、夏目漱石の「吾輩は猫である」で「知らぬが仏」がそれぞれ使われています。
「知らぬが仏」のビジネス上での使い方
「知らぬが仏」はビジネス上でも使われることがある言葉です。
その使い方としては、例えば以下のようなものが考えられるでしょう。
先輩や上司など、目上の人に対しては面と向かって不平不満を言うことができないという人も少なからずいることでしょう。
その為本人がいないところで悪口を言ったりする人がいますが、人の悪口というのは聞いていてあまり気持ちの良いものではありません。
この例では、そのようなこともあり上司に対する同僚の悪口を聞かなかったことにしたのでしょう。
「看過」の読み方は「かんか」で、意味は文字通り「見過ごすこと」です。
どんなに可愛がっている部下であっても、ミスに対してはしっかりと注意し、今後再発しないようにしなければ本人の為になりません。
今回の例だと、部下のミスを見過ごすことは、上司として良いことではないということを表しています。
「知らぬが仏」の類義語と例文
「知らぬが仏」の類義語は、下記のようなものがあります。
・聞くは気の毒、見るは目の毒
・聞けば聞き腹
その他には「言わぬが花」や「見ぬが極楽」、「世間知らずの高枕」といったものが挙げられるでしょう。
また上記の類義語を使うと、次のような例文を作ることができます。
「聞くは気の毒、見るは目の毒」は「知らずにいれば済んだものを、知ってしまえば心を悩ましてしまう」という意味です。
世の中には知らない方が良かったと思うようなことも少なくありません。
この例は、知らない方が幸せなこともあるのだということを表しています。
「聞けば聞き腹」は「聞かなければ平気であっても、聞けば腹立たしくなる」という意味です。
今回の例では、聞けば腹立たしくなるかもしれないが、人の噂はついつい気になってしまうということを表現しています。
「知らぬが仏」の対義語と例文
「知らぬが仏」の対義語としては、「知は力なり」が当てはまるでしょう。
「知は力なり」は16世紀から17世紀に活躍したイギリスの哲学者「フランシス・ベーコン」が残した名言です。
英語では「Knowledge is power」と表現され、「知識そのものが力になる」という意味があります。
また「知は力なり」の例文は、以下のようなものが考えられるでしょう。
知識が豊富で何でも知っている人というのは、それまでに一生懸命勉強したり様々な経験を積んできたりした人です。
今回の例では、知識が豊富な人はそれだけの知恵や経験があるのでとても優秀で頼りになるということを表しているのでしょう。
「知らぬが仏」の英語表現
「知らぬが仏」の英語表現は、「blessed ignorance」や「happy ignorance」などが適切でしょう。
「blessed ignorance」や「happy ignorance」は「知らないことは幸せ」や「無知の美徳」といったニュアンスがあり、海外でも日本と同じような感覚で使われています。
なお「blessed」は「神聖な」や「幸せ」、「ignorance」は「無知」という意味です。
まとめ この記事のおさらい
・「知らぬが仏」は「しらぬがほとけ」と読み、「知ると不愉快になるものごとでも、知らなければ心を乱すことはない」という意味のことわざ
・「知らぬが仏」は「事実や出来事を知らなければ立腹したり、憎しみを抱いたりしなくても済む」、あるいは「知らないが故に気が楽である」といった状況を指している
・「知らぬが仏」は「知らぬが仏、知るが煩悩」というように、言葉の意味を補足する形で使われることもある
・「知らぬが仏」の語源は「江戸いろはかるた」
・「知らぬが仏」の類義語としては、「聞くは気の毒、見るは目の毒」や「聞けば聞き腹」といったものが挙げられる
・「知らぬが仏」の対義語は「知は力なり」が当てはまる
・「知らぬが仏」の英語表現としては、「blessed ignorance」や「happy ignorance」などが適切