菜根譚とは?|作者や作品の特徴、名言を紹介

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この記事では「菜根譚」について解説いたします。

ビジネス書や古典などで見聞きされることがある言葉ではありますが、どのようなものかはっきり理解していないという人もいることでしょう。

そこで今回は「菜根譚」とはどのようなものか、また「菜根譚」の特徴や名言なども含めて取り上げました。

この記事を最後まで読めば、「菜根譚」を直接読みたくなってくることでしょう。

中国の古典「菜根譚」とは

千載一遇
「菜根譚」は中国の古典で、「菜根」は野菜の根、「譚」は話のことです。

つまり「野菜の根の話」という意味で、「人は常に菜根(野菜の根)をよく咬んでいれば、あらゆる事はなしとげられる」という言葉が語源とされています。

野菜の根は堅くて筋が多いですが、それを苦にせずよく咬めば世の中の真の味を理解できるという意味です。

また「菜根」が粗末な食事を象徴とする言葉であることから、貧しさをいとわない清貧の暮らしを良いものとする意味もあります。

その他にも「菜根譚」は、醜い政争に巻き込まれる苦難の中で人間を観察し、晩年は達観の境地に至った作者ならではの視点で書かれました。

その為随所に鋭い洞察から生まれた多くの処世訓が著されているのです。

「菜根譚」は前集と後集に分かれており、前集は俗世の人々との関わり方を中心に、後集は俗世を超えた深遠な境地や、静かな暮らしの楽しみが描かれています。

前集は現役向け、後集は引退後向けなどと称されることもあるのはその為です。

なお「菜根譚」はパナソニックの創設者である松下幸之助さん、元プロ野球選手・監督の野村克也さんも読んでいた本で、リーダーシップや人間関係、成功の秘訣について学ぶことができるとされています。

「菜根譚」の作者は「洪自誠(こうじせい)」

「菜根譚」の作者は「洪自誠(こうじせい)」という人物です。

戦乱で荒れていた中国の明代末期に、「何を信じて生きていけばいいのか」と不安を抱えている人に向けて書かれました。

16世紀後半から17世紀前半頃に生きた人とは考えられていますが、詳しい伝記などは残っていません。

ただ「菜根譚」に書かれている内容から、「洪自誠」は優秀な官僚として活躍した後、政争に巻き込まれ苦渋の中で隠遁した人と推測されています。

またこの書物は1つの物語というわけではなく、今日でいう「名言集」のようなものです。

現代でも通ずるような名言が散りばめられていることもあり、今でも名著として語り継がれているのでしょう。

「菜根譚」の特徴

叔父
「菜根譚」は特徴がある作品としても知られています。

この項目では、「菜根譚」の特徴として2つピックアップしました。

「中庸」を大切とする姿勢

「菜根譚」の特徴が色濃く表れているのは、「中庸」という考え方です。

「中庸」とは「中」という字を使っていることからも連想できるように、「極端な行き方をせず穏当なこと」や「片寄らず中正なこと」という意味を持っています。

その為、この本ではどちらかに偏るような極端な行動を勧めていません。

「何かにすがって生きるのではなく、答えがない中で考え続けるということ」を重要としているからです。

「仏教・儒教・道教」の融合思想

「菜根譚」では、「仏教・儒教・道教」という「三教」の融合思想について書かれています。

「三教」は対立したものではなく、それぞれの思想を取り入れることでよりよく生きることができるとしています。

「どの宗教が正しいか間違っているか」の問題ではないということです。

「菜根譚」が書かれた当時の官僚の教養として、儒教思想の習得がありました。

「菜根譚」には儒教経典からの引用が多くあり、儒教経典の四書は『大学』『中庸』『論語』『孟子』です。

更に道家の文献である『老子』『荘子』で説かれる思想や、仏教経典の思想も色濃く表れています。

儒家でありながら道教や仏教の思想も取り入れるという態度は、実際の当時の知識人の一般的な傾向でした。

「菜根譚」の名言

cf.
これまで「菜根譚」についてご紹介してきましたが、これだけでは実際にどんな内容が書かれているのかピンとこないという人もいるかもしれません。

そこでこの項目では、「菜根譚」の名言として5つご紹介します。

なお最初の3つはいずれも前集の内容で、残りの2つはそれぞれ後集のものです。

また内容が理解しやすいように、書き下し文とそれを訳したものをまとめました。

人の悪を攻むるときは、はなはだ厳なることなく、その受くるに堪えんことを思うを要す。人を教うるに善を以てするときは、高きに過ぐることなく、当にそれをして従うべからしむべし。

「人の過失を責める時はあまり厳し過ぎるようにはせず、その人がその叱責を受け容れられる程度にするのが良い。
また人に善い行いを教えるときは基準を高く置きすぎず、その人が実行できる範囲に留めるべきである。」

偏心にして奸に欺かるることなかれ。自任にして気に使わるることなかれ。己の長を以て人の短を形すことなかれ。己の拙に因りて人の能を忌むことなかれ。

「偏った見方をして悪い人に騙されないようにしなさい。自信を持ちすぎて心につき動かされないようにしなさい。
自分の長所を示して他人の短所を暴くようなことはしてはいけない。自分が拙いからと他人を妬むようなことはしてはいけない。」

小人を待つに、厳しきを難(かた)しとせざるも、悪(にく)まざるを難しとす。君子を待つに、恭しきを難しとせざるも、礼有るを難しとす。

「つまらない人物に対してその短所や欠点をいうのは難しくないが、それらを許容して憎まないようにするのは難しい。
一方で立派な人に対して尊敬することは簡単だが、尊敬のあまり礼が不十分になることがあって難しい。」

分にあらざるの福、故無きのえものは、造物の釣餌にあらずば、則ち人世の機せいなり。此の所に眼をつくること高からずは、彼の術中に堕ちざることすくなし。

「身分にふさわしくない幸福や正当な理由がなく得た物は、人の世にしかけられた落とし穴である。
そのようなことに注意していなければ、天や人が仕掛けた落とし穴にかからない者はまれである。」

すべて眼前に来るの事は、足るを知る者には仙境にして、足るを知らざる者には凡境なり。すべて世上に出ずるの因は、善く用うる者には生機にして、善く用いざる者には殺機なり。

「目の前に起こる現実の問題は、満足することを知る人にとっては理想郷のようなものであり、満足することを知らない人にとっては欲望に満ちた世界である。
また世間一般の事柄は、その本来の姿に従う人にはものを生かす働きとなるが、本来の姿を損なう人にとってはものを殺すはたらきとなる。」

まとめ この記事のおさらい

・「菜根譚」は中国の古典で、「野菜の根の話」という意味があり、「人は常に菜根(野菜の根)をよく咬んでいれば、あらゆる事はなしとげられる」という言葉が語源とされている

・「菜根」が粗末な食事を象徴とする言葉であることから、貧しさをいとわない清貧の暮らしを良いものとする意味もある

・「菜根譚」の作者は「洪自誠」

・「菜根譚」の特徴としては、「中庸」を大切とする姿勢や「仏教・儒教・道教」の融合思想などが挙げられる

・「菜根譚」の名言には、「人の悪を攻むるときは、はなはだ厳なることなく、その受くるに堪えんことを思うを要す。人を教うるに善を以てするときは、高きに過ぐることなく、当にそれをして従うべからしむべし。」などがある