今回は「只管」という言葉について解説します。

一見すると、難しい言葉のようで、どういうを持つ言葉なのかも見当がつかないという人も多いことでしょう。しかし、読み方を知れば、日常生活でよく使われる言葉だということがわかります。

意味や、あるいは只管を使った言葉である「只管打坐」についても押さえておくと、教養が身につき心が豊かになります。

只管の読み方と意味

只管は「ひたすら」と読みます。只管の意味は「そのことだけに打ち込む様子」です。古文では「まったく」「すっかり」という意味もありますが、現代においてこの意味で使うことはほぼありません。

「只」という漢字には「ただそれだけ」という限定の意味があります。一方、「管」という字には「細長い筒」という意味があり、一見「ひたすら」という言葉には関係がなさそうです。しかし、「官」の部分が「貫」に通じており、「貫く」という意味を持っています。

昔は竹などを貫いて、笛などの細長い筒状のものを作っていました。そこから「管」には「竹などを貫いたもの」という意味で筒状のものという意味となったのです。さらに転じて、「最初から終わりまで一貫してものごとをやりとおす」というイメージで、「ひたすら」という言葉に当てられたのだと考えられます。

只管の使い方

只管は副詞なので、動詞を修飾して「只管〇〇する」という形で使います。「に」を付けて「只管に〇〇する」と書くことも可能です。

誰かが長時間にわたって一つのものごとに打ち込んでいるときに使います。時間の長さに決まりがあるわけではありませんが、基本的には一日中取り組んでいれば只管を使っても問題はありません。

只管の語源

只管は最初からこの2文字だったわけではありません。

「ひた」には「一」や「直」といった漢字が当てはまり、とくに「直」を使った言葉には「ひた隠す(直隠す)」「ひた押し(直押し)」などがあります。「すら」には「筋」や「向」が当てはまります。これらを組み合わせると「一筋(ひとすじ)」や「直向(ひたむき)」といった同じ意味を持つ熟語がするのです。このことから、当初はこれらの漢字を使って「ひたすら」と書いていたと考えられます。

しかし、「只管打坐」という言葉が生まれると、「只管」の部分がひたすらに当てられたのです。

只管打坐の意味と使い方

只管打坐(しかんたざ)とは、「ひたすら座禅をし続けること」です。仏教の宗派の一つである曹洞宗の開祖・道元禅師が説いた教えであると言われています。

座禅を主な修行方法とする禅宗はほとんど臨済宗と曹洞宗の二分されます。臨済宗の場合は「公案」と呼ばれる師匠からの課題について思案しながら座禅し、悟りを開こうという修行法です。これに対し、曹洞宗の場合は公案を解くなどの目的は持たずに、只管打座に徹します。只管打座によって、自らの肉体と精神から離れ、無我の状態になる瞬間が来ます。これを「身心脱落(心身脱落)」と呼び、この境地に至ることによって、自己を学び、ひいては仏道を学ぶことにつながっていくのだというのが、道元の考え方なのです。

したがって、同じ座禅を行うにしても、何か目的を持って行う場合は、只管打座とはいえません。とにかく座禅だけに集中する場合にのみ、只管打座という言葉を使うことができるのです。

只管打座とマインドフルネス

近年、ビジネスの世界で話題になっているのが、「マインドフルネス」という、アメリカを発祥とするエクササイズです。仏教の思想を取り入れてはいますが、宗教性はありません。座禅と同じ方法で瞑想し、自身の感情や感覚などの状態を認識して受け入れることで、心をリラックスさせてストレスを軽減したり、脳を活性化させてアイディアが出やすくしたりすることを目的としています。

目的を持って行うという点では、どちらかといえば臨済宗の座禅に近いです。一方で、自分自身を見つめ直すという点では只管打座に通じているといえます。

只管の例文

「只管」は、もっぱらそのことだけを行う意で用いることが多い言葉です。只管をつけることによって、誠意や熱意のこもった言葉や文章になります。

「許してもらえるまで、只管彼女に謝り続けた」

他人に許してもらうには、「誠意を見せる」ということが必要だとよく言われます。誠意を見せるためにはいくつか手段が考えられますが、最も重要なのはやはり謝罪です。言い訳などせずに気持ちを込めて何度も謝ることで、誠意を伝えることができます。

「夏休みはどこにも遊びに行かずに、只管受験勉強をしていた」

勉強やスポーツの練習などを一生懸命やっていたことを言いたい場合でも、只管は役に立ちます。ただ「勉強していた」「練習していた」とだけ言うよりも、「只管勉強していた」「只管練習していた」というほうが、表現できる集中の度合いが違います。

只管の類義語

「只管」の類義語はたくさんあります。たとえば、「いちず」は「一途」と書くように、一本道を進むかのごとく他を顧りみず、一つのことだけに集中するときに使う言葉で、只管とほぼ同じです。また、四字熟語にも「一意専心」という言葉があります。

「いちいせんしん」と読み、こちらも只管と同様の意味です。「一意」と「専心」はどちらも心を一つのことに集中させること意味する熟語です。「専心一意」ともいいます。

類義語の例文

一途は恋愛感情に使われることが多いですが、ほかの一つのことに集中する場面に使っても問題はありません。

「幼馴染の彼のことを、長年一途に想い続けている」

基本的には「一途に」と副詞で使いますが、以下のように名詞的に使うこともあります。

「浪人生のころは、アルバイトもせずに、勉学一途の毎日を過ごしていた」

また、一意専心も副詞的に使うことがほとんどで、「一意専心に〇〇する」「一意専心、〇〇する」というような使い方をします。

 

・「画家になるという夢を叶えるため、一意専心に努力をしていきたい」

・「警察官になったからには、市民の平和を守るために一意専心、職務にあたっていく」

 

 

只管の英語表現

只管を英語で言いたい場合は、entirely」という単語を使います。

He devoted himself entirely to medical research.
彼は只管医学研究に打ち込んだ)

また、一生懸命にものごとに取り組むニュアンスを加えたい場合は、「devote oneself」や「put one’s heart and soul」などといった表現をするといいでしょう。

より簡単な単語で表現したい場合は、「ただ~だけ」という意味の「only」を使うことも可能です。

She only read on her days off.
(彼女は休日、ひたすら読書をしている)

まとめ この記事のおさらい

  • 「只管」とは一つのことに打ち込む様子のこと
  • 「只管」という文字が当てられたのは、「只管打座」という言葉が生まれたのがきっかけ
  • 「只管打座」とは、とくに目的を持たずに座禅のみを続けることで、自分自身を理解しようとする修行方法
  • 「マインドフルネス」とは、座禅を取り入れたエクササイズだが、宗教性は取り除かれている

只管ものごとに集中するのはとても大事なことです。しかし、社会人になると、仕事でもプライベートでもやらなければならないことが多く、一つのものごとに集中するということは難しいかもしれません。

そこで、マインドフルネスのようなエクササイズを日常に取り入れ、数分もしくは数十分を使って只管自分を見つめ直すことで、さまざまなメリットがもたらされることが期待できます。